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<おことわり>

このページは、過去のトップ記事を集め、適当に再編集したものと、管理者の気まぐれでその時々のぼやきを主にした殴り書きと理解してください。
したがって、管理者の独断と偏見で作られたページであります。

(2003/08/30 5M 福井 勇)

 

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2011/12/11

月食

 昨日は、朝からニュースで「今夜は皆既月食が見られます」といい、帰宅すると娘は孫と天体望遠鏡を組み立てろと、旦那にせがみ、孫は月食が何かも判らないのに、おおはしゃぎ。私も夜中に三脚を探し回り、ようやく月食に間に合った。カメラには望遠レンズをつけ、月を狙うが、ほぼ夜空の真上。デジカメは思うように設定が出来ず四苦八苦。なんとか撮影出来たが、今度は電池切れ。いやはや大変な夜中でした。写真自慢の私にとって、マニュアルモードでの撮影にチャレンジしたが、どうにもうまくいかない。もう少し、カメラを使いこまないと思うような撮影が出来ないと深く反省。結局は、カメラ任せの「夜景モード」での撮影が一番良かったのはカメラにバカにだれたようで悔しい!

 昨夜の冷え込みは半端ではなく、今日も週末恒例の温泉。一昨日スタッドレスタイヤに履きかえて、行く途中「早すぎたか?」と反省しながら走った。峠を超えると一面の雪。私の選択が正しいと自己満足。久々の雪景色に満足し、先週と同じ「関金温泉」と「真賀温泉」の梯子をして帰ってきた。関金温泉は2度目なので、改めて確認すると、トンネルの数は長短5本。湯船のサイズは幅1.1m*長さ1.6mで、4~5人も入ればいっぱいだった。私の感覚のいいかげんさが露呈した。

 いつも私があげた人に評判がいいので、温泉の帰りに買ってくる 落合/古見屋の「田舎羊羹」があり、昨日カミさんが、この羊羹をいつも利用する神戸の洋品店の店員にあげたら、「○○の丁稚羊羹は甘いだけで、この羊羹は羊羹界のエルメスです!」と大絶賛されたそうな。エルメスが最高峰の評価なのだろうが、おかげで今日は10個購入して帰宅した。また明日も神戸の洋品店に羊羹を持ってゆくらしい。ちなみに、うちのカミさんの好きな甘いものは、本高砂屋の「きんつば」か、舟和の「芋ようかん」くらいだ。

 

2011/12/04

関金温泉(鳥取)

 旭川では真冬日のニュースが流れ、西日本は今が紅葉の真っ盛り。

定年退職後、子会社に再雇用され、昨年夏からの仕事(ボーイング787機体製造工場の生産ラインの整備)もようやく目処が立ってきた。

 オーバーワークによる、持病の頸椎ヘルニア対策で、毎週末(日曜日)は、絶対休日に決め、温泉での疲労回復をもくろんだが、寄る年波には勝てず、週1日の休養では疲労のリセットが利かなくなってきた。

毎週、岡山県真庭市にある、「真賀温泉」に通っていたが、口コミで、峠を越えて、鳥取県の「関金温泉」が良いと聞いて、今日初めて足を伸ばした。
今まで、片道150kmをさらに30km程余分に走ればいけるのだが、なかなかその気になれなかった。雪が降る前に、峠の紅葉見物も兼ね、いつもより1時間早く家を出た。

 道中は、「狐の嫁入り」と言うらしいが、空は晴れなのに雨がぱらつく不思議な天気だった。いつものように、米子道/湯原温泉で高速を降り、湯原温泉を横目に地道を走る。峠のトンネルを3本程抜け、目的の関金温泉街。その一番奥(?)に、目的の共同浴場「関の湯」があった。

 隣にある寺院の駐車場に車を置き、おそるおそる玄関を開けると、受付で笑顔で迎えられた。たいまい「200円也」を支払い、男湯に入る。引き戸を開けると、「本日貸切状態で~す v(*^_^*)v」。

 扉のない、脱衣箱に脱いだ服を入れ、いざ浴室へ。2m角程の湯船に源泉が勢いよくながれこんでいる。ほのかな温泉臭のする透明な湯。かけ湯をして、木枠の湯船に足を入れる。温度は適温。これはいい湯だ。

 30分程ですっかり温まり、体が軽くなったような気がした。腰にだるさが戻り、疲労がかなり重症であったのを自覚した。帰るときには、受付(番台?)はオジサンからオバサンにかわり、「お気をつけてお帰り下さい」と声をかけていただいた。
有難うございますと言って、風呂を出た。また来る事にしよう。

-腰のだるさについて-
 行きつけのカイロプラクティックの先生が、教えてくれた。人の体には異常(変調)を知らせるセンサーが沢山あって、ケアが必要な時に「警告を出す」そうだ。
 第一段階は 体の変調に対して「ケア」を必要とすると「凝り・痛み」の自覚症状が現れる。
 そのまま放置すると、第2段階に進み、痛いままだと生活が出来なくなるので、「痛みをブロックして、麻痺させる」。この時は、症状がどんどん悪化しているのだが、本人には気がつかない。
 マッサージなどに行くと「もみ返し」と称する、翌日に痛みが現れるのは、第2段階から、第1段階に回復している証拠なのだが、本人は「下手なマッサージ」と誤解する。気の毒なのはマッサージ師で、あらぬ疑いをかけられる。

 仕上げに、いつもの「真賀温泉」(ここも今日は一人だけ)に入り、帰路は地道を南下し、真庭市勝山で「新そば」を食べた。久世からまた高速「米子道」に上がって、10分程走ると、猛烈な睡魔が現れ、サービスエリアで仮眠して無事に帰宅した。これも温泉効果なのかもしれない。

あすは、また5時起きで、愛知県まで片道250kmを走る予定だ。数10回同じ道を走っているが途中にある「長島温泉」には一度も立ち寄った事が無い。

文責:05M福井

 

2011/04/24

災害報道

 東日本大震災に被災された方々、そして原発事故で避難を余儀なくされた方々へ、災害へのお見舞申しあげます。神戸での震災では、復興業務で直接関与しましたが、今回の震災の映像を見るにつけ、その被害の凄まじさに言葉もありません。

 なんとか、復興してほしいと願うばかりです。神戸の復興事業は、国が出張って、見た目だけの復興でした。その地域(場所)を基盤としている零細企業は、復興のために(一時立ち退きを強要され、事業を中止。港(岸壁)が出来たときには、すでに倒産・廃業になっていました。
 今回の災害は、もっと深刻です。町ごと壊滅し、生活基盤も、事業も根こそぎ津波にさらわれている地域をどのような形で復興するのか?時間がかかる話です。出来れば、地域住民が一丸となって、主導権をとってほしいと願うものです。

 直接、現場に立ったわけではありませんが、今回の災害でも報道の偏りが気になります。神戸の時にも、3月20日を境に、震災報道は影をひそめ「地下鉄サリン事件・オーム真理教」が中心の報道になりました。

今回の大震災でも、報道の中心は、原発事故がメインとなり、震災関連のウエイトがかなり減っています。理由は単純明快 現在のメディアは「東京中心」なのです。特に民放はその傾向が著しく、「(東京を基盤としている)自分たちに直接影響がある内容を報道する」のです。
(BS放送の天気予報で東京の空模様を言っているのと同じこと。)
確かに、人口の1/10が集中している地域であることは間違いありません。全国からの支援を得るための、報道の役割は計り知れません。

 日本中いたるところで義援金の募金活動が行われています。この善意がどういった形で被災者に届くのか、私にはいまだにわかりません。神戸の時にも集まった義援金・支援物資が一番必要としている被災者に届かない事もたくさんありました。今回の災害は、自治体そのものが崩壊している例もあり、混乱の極みと想像されます。
 ばらまきしか能がない政府に、有効な使い道が示される期待はかなり希薄です。
 いずれ、使途をはっきりした支援団体が現れ、その内容が報道されたとき、募金に参加しようと思っています。

 2月の定年退職後、引き続き子会社へ転籍し、工場生産設備の対応に追われています。
震災の影響で部品の入手が思うようにならない状況で、納期までに完遂させるべく走り回っています。
 オーバーワークによる、持病の頸椎ヘルニアによる自覚症状が出始めたので、週末の温泉療養(疲労回復)で対応しています。

頸椎ヘルニアの発症は、震災の翌年でした。温泉への道筋で咲いていた菜の花の画像を掲載します。

災害復旧に対応されている方々におかれましても、お体ご自愛いただきたいと思います。

文責:05M福井

 

2011/02/11

還暦旅行

 2月の誕生日で、いよいよ還暦を迎えた。2月末日が定年退職の日になる。

 高専を卒業して40年、同じ会社に務め、30歳で単身赴任も経験した。素敵な伴侶に恵まれ、子供が2人、孫も2人さずかった。

 後半6年の子会社出向も含め、いろんなモノを作ってきた。ベルトコンベヤの設計にはじまり、石炭の貯槽払い出し設備、コンテナクレーン、水門、種子島のロケット組立設備(この扉は世界最大の引違扉としてギネスブックに登録)、ロケット移動発射台、明石海峡大橋の架設用クレーンの検討、ゴムタイヤ走行のコンテナヤード用クレーン、曲線走行クレーン、超重量物搬送台車、空気浮上走行台車、ボーイング787組立作業台、新幹線台車交換作業用ジャッキなどなど。
 震災の後、神戸港のコンテナクレーンの復旧では、体がガタガタになるまで働いた。

 上司には、恵まれた方なのだろう。新規案件を任され、「お前と心中だ!」と殺し文句でメロメロにされた上司。大卒が優秀で、高専卒は劣等生という、レッテルを貼った上司もいた。おかげで、持ち前の反骨気質がより図太くなった。部下にはあまり縁がなかった・・・・。

 なぜかしら、新規案件、特殊案件、新製品開発等の話にはいつも首を突っ込んでいた。
基礎物性の試験からはじまり、製品への理論展開、そして新案による技術を確立して製品開発し、プレゼン資料(当時はOHPが精一
杯)・カタログまで自作し、プロジェクタを抱えて日本中をPR活動した事もあった。おかげで、「クソ度胸」もついた。困ったときには、いつも相談に行って教えを請うた私の先生達はいつの間にか居なくなって、気がつけば私も定年の時期になっていた。
 3月からは、現在出向中の子会社に再雇用され、仕事はそのまま、給与6割に削減して働く事になった。まだまだ、しばらく忙しい日が続く。

 先日、家族が私の還暦祝いにと、鹿児島に旅行した。目的地は大好きな霧島。天孫降臨のパワースポットではいつも心も体もリフレッシュする。ところが、今回は新燃岳の噴火で、大好きな「霧島神社跡」は、立入禁止エリア。指宿の「砂蒸し温泉」と「霧島温泉」で体をほぐし、霧島牧場で乗馬体験を楽しんできた。出かける前日の夜、風邪での発熱が、うそのように吹き飛んだ。
 新燃岳の噴煙を7km程の距離で見て、轟々響く噴火の音に、大自然のエネルギーを感じてきた。帰宅後のニュースで、霧島上空を飛んだ帰りの飛行機が通過した10分程後で、大噴火がおこったとか。またしても不思議なエネルギーに守られているような気がした。
 

2011/01/04

年賀状

 昨年は喪中で、毎年の楽しみが無かったが今年は2年ぶりに年賀状を出した。宛先不明で返送されたのが数通。毎年、年賀状の授受管理に使っている「筆まめ」の住所データをみると、何となく音信不通になる理由が見えてくる。ご主人に先立たれ、若くして未亡人になった妻の友人(諸事情で転居された)。定年離婚した元上司(元の住所には該当者なし)。

 今年は、「リタイヤしました」という年賀状がやたら増えた。当然、私の同級生はほとんど60歳を過ぎている。私も2月で60歳になり、親会社を定年退職し、子会社に再雇用していただく予定だ。ただし、給与は60%にダウンする。
 仕掛りの仕事があるので、少なくともこの仕事を完遂するまでは、現職のままでいようと思っている。

 年賀状には、それぞれの個性やら、当人の状況が、1枚のはがきに現れていて、それを推測するのを、楽しんでいる。
 いつも長々と、小さな文字で近況やら自己の思いを書き綴っていた友人は、パソコンプリントで量産賀状に変わっていた。それまでは、ごく親しい友人にだけ出していたのが、きっと仕事の関係で多くの人に出す必要が出てきたのだろう。この友人は、かつて「メールがなんぼのもんじゃ」と豪語し、もっぱら手書きのハガキが通信手段だったが、今はメールの申し子のように駆使している。
1行で、見事に近況を伝えてくる友人もいる。結婚・離婚・再婚・退職・・・ 大好きな年賀状の一つ。

 年に一度の文通。たった一枚のハガキだけの交信であっても、まるで「再会できたような気がして、まるで同窓会のように元気がもらえる。

 我が家の冷蔵庫には、無くなった愛犬・父母・義理の弟の写真が貼り付けてあって、その中に30年程前に送った年賀状(当時は家族写真を白黒写真で焼き付けて作っていた)がある。娘たちの幼い姿が、孫とダブって見えるのは、年のせいだろうか。 最近、仕事で 「もうじき還暦ですから・・・」と言うと、「お若いですね。そんなお年に見えません」と返ってくる。お世辞と分かっても無性にうれしい。会社で周りを見回すと、私より年上は殆どいなくなった事を実感させられる。先日客先の担当者の年を聞いたら、娘と同い年だった。
やっぱり、年だ!

 

2011/01/02

雪の城崎(2010/12/30-31)

 年末は、29日まで、現場で試運転をしたが、設計が悪く、あちこち改造をする必要がでてきたので、年内完了を断念し、年明けから大改造をすることにした。名古屋方面からの帰省ラッシュを懸念したが、高速料金の割引は正月三が日だけとあって、事故渋滞以外は渋滞もなく帰宅できた。

 毎年恒例、年末30日だけ1泊の家族で温泉(企画:カミさん)は、今年は城崎温泉になった。
 30日からの寒波襲来予報だったが、この日は特に問題もなく宿についた。山陰の冬の名物「カニ料理」で腹は満腹。腹
ごなしに城崎名物の「外湯めぐり」を堪能。
星空に下駄を響かせて、「まんだら湯」の桶風呂、「鴻の湯」の露天風呂、改装した「御所湯」で、露天風呂を味わった。
 肌はすべすべ・体はホカホカ、ソフトクリームを食べながら、宿に帰った。

 夜が明けて、外を見ると、未明からシンシンとボタン雪が降り、瞬く間に10センチを超える積雪。宿から、長靴を借りて、朝飯前に、宿の近くの「一の湯」に入り、洞窟風呂を堪能した。
 温泉宿では、いつも朝食がおいしい。年末の医者の忠告(糖尿病・コレステロール過多)を忘れ、またしても満腹まで・・・・
 介護士の二女は、朝体調が悪いと、朝飯の時間に寝ていたが、仲居さんが気を利かせて、「おにぎり」を作ってくれたことに感動し、「来年もこの宿にに泊まろう」という事になった。土産物大好きの娘は、買い物で体調復活。めでたし!

 宿の支払いも済ませ、帰路の昼には、「出石」に寄って、「皿蕎麦」を食べる事にした。ところが、いつもなら30分程度の道が、雪でいっこうに進まない。原因は、降雪で雪に慣れないドライバーがノロノロ運転をしているため。新品のスタッドレスタイヤで完璧装備の車が、時速10k程度で走っている。降りたての湿雪なら、まず大丈夫と思うのだが・・・・。
でも事故を起こされるよりましと、あきらめる事にした。
 

 私の車には、先日新調したスタッドレス。後続の車がいないときに、ブレーキテスト。スパイクタイヤからスタッドレスタイヤに切り替わった頃に比べ、制動性能はずいぶん良くなっているのが嬉しくて、結構とばしてしまった。(北海道のつるつる交差点を走る勇気はありませんが・・・)
 大みそかには、紅白を見て、シルベスターコンサートのカウントダウン演奏を見て、床についた。

2011年がいい年でありますように。

2月末日で定年退職し、3月から引き続き現在の会社に新入社員として転籍し、まだまだ仕事は終わりません。  

   (福井)

2010/11/21

小春日和の山里

 神戸総会も終わり、西日本支部の役員会が20日にあったが、風邪をこじらせはや2週間。
皆さんと話ををするにも、咳が続いているし、元気な皆さんに風邪をうつしてもと思い、久々に安静にしていた。

しかし、窓から差し込む胃小春日和の陽光が、2日も続くと寝ているのが惜しくなって、こっそり近くの温泉にでかけた。

 陽の光が山の木々に幻想的に差し込んでいたので、数枚カメラに収めた。
 カメラに撮ると、自分が感じた陽の輝きが薄れ、なんともボケた写真だったが、コントラストを上げ、明るさを下げたら、ほぼ自分の感じた光になった。

氷河期を乗り越えた紅葉樹の種類の多さは、海がもたらした奇跡と先日のTV番組で言っていた。

色彩豊かな日本に生まれたことに感謝したい。

2010/10/10

猛暑の影響

 播州地方は秋祭りの真っ只中。

近くの稲美野天満宮も今日が祭礼の日で、神輿を池(天滿大池:兵庫県で最も古いため池)に入れる事で有名な祭り。
 同じ時期に高砂神社も祭礼(左の写真:神輿と、船渡行の会場)があり、ここは船渡行(ふなとぎょ)といって、神輿が岸壁から舟に渡る勇壮さと、神社の前で繰り広げられる、電飾に彩られた屋台(重量数トン)が並んで行われる練り合わせが見所の祭り。

播州の秋祭りは西へ西へと移って行き、最も知名度の高いのが、「灘のけんか祭り」といわれている姫路市白浜町の松原八幡神社で、新幹線姫路駅の構内に屋台が飾られている。なにせ、この時期になると、全ての仕事はストップし、祭り一色になる。(この時期の仕事は、祭りの日程で決められ、地元のTV局、ケーブルTV局が特集番組を作成する)

 昨日の雨が寒気の影響で朝霧になり、朝霧の幻想的な風景を撮影しようと、自転車で出かけた。
「これは!」という写真は撮れなかったが、数枚そこそこの写真が撮れた。(左の写真は、天滿神社の杜を背景に朝露に光るくもの巣)。

撮影していて気になったのが彼岸花(曼珠沙華)。

例年必ずといっていいほど9月23日頃に満開になる花が、今年は半月も遅れて満開だった。北海道から送ってもらって、庭に植えていたオンコ(一位)の木も葉っぱが真っ赤になって落葉した。やはり猛暑の影響なのだろうか。

2010/09/21

神戸同窓会で 臨時ゴキブリ(5期ぶり)会 ―由来:5期のメンバーが久しぶりに会おう―

 9月18日神戸で同窓会をした。クソがつくらい忙しい毎日だったが、この日にためにいろんな準備に対応した。前夜に、会費の領収書を作成したが、裏表を間違って印刷したため、やり直し。何度チェックしても、印刷されな人が数名。結局夜の1時半までかかってしまった。

 当日はとにかく眠たい。集合時間に間に合って、会場の受付で待ってる2人の顔を見たら、疲れを忘れた。

 理事会も終わり、総会・懇親会が始まると、私の役目は写真撮影。
以前から購入を考えていたデジタル1眼レフを当日買い求め、使い方も手探りで撮影。結果はいまいち。やっぱり、ぶっつけ本番は・・・期末試験の成績でも明らか。

 さて、我々5期は、今年が還暦の年。4月に早々と還暦を迎えた者、9月で還暦の者、年明けで還暦になるもの。みんな若い! 今回はバスケット部の白井(キャプテン)・青井・松元、サッカー部の池田・佐藤。バレー部の古山・福井、野球部代表の渡部。

 学生時代の成績なんぞは、社会ではとるに足らんと話がおちついた。なにせ、落ちこぼれ寸前の渡部が、「品質工学」に関する解説書を出し、果ては講演会までしているのだから。
 同期の連中は、バリケード封鎖に関わって、たくさんいなくなった。卒業したのが機械49人。青井とは4年を終わらず会っていないので、40年目の再会でもあった。

 会えば、毛が薄くても、気持ちは二十歳! 瞬く間にタイムスリップする。昔のままの「・・・だべや」が連発する。当時は絶対話せなかった裏話もたくさん出てきた。
寮生活の話。会長選挙の裏話。封鎖の裏側の出来事。部活の話。なぜかあだ名だけで名前を思い出せないやつの話。バイトの話・・・・夜はまたたくまに更けてゆく。

松元さんからのメッセージはこちら

  

渡部・青井・佐藤                                     松元 収・福井 勇

  

  

渡部義晴            青井 勇               白井 力

  

古山 純             池田 実            佐藤秀明

  

なごり雪も降るときを知り、ふざけすぎた季節の後で、今春が来て・・・

2010/06/07

会議に同窓生が6名も・・・

 私の親会社が札幌の某機械メーカーに製品を発注し、その機械メーカから、現場での一部製作と組み立てを請け負うことになり、6月7日に、製品の製作について技術打合せを行った。
 本件の仕掛け人である、3期機械卒の某商社の札幌営業所長を筆頭に、機械メーカからは、技術部長、技術部グループリーダー、資材部長、工作課長が旭川高専の同窓生。総勢11名の会議に6名が旭川高専の同窓生という不思議な空間。

 なんとか、安くていいものをという思いが、話を熱くする。私は一品料理の受注生産品ばかりの経験で、彼らは量産を前提にしたものづくり。ある意味での「異文化交流」のような気がする。

 20数年前に、明石海峡大橋の主塔架設の検討に参加して事がある。私の担当は、地上300mの高さに150tのブロックを吊上げる架設クレーン。橋梁屋と工事屋とクレーン屋の3人で始めた検討。同じような製品だと思っていたが、全く異文化の交流になった。私が常識と思っていることは、彼らに「感嘆」される。彼らの常識は、私には「新しい世界」で、ずいぶん勉強になった。(ただし、この年に右目の視力が1.2から0.3に落ちて、今は0.1になっている。左目は1.2のままだが…)

 今回の製品受注をきっかけに、この分野に進出を図る、札幌のメーカをバックアップできれば、と思っている。

 昨年あたりから、3期の先輩に紹介をもらって、年度末には函館に製品を納めることが出来た。北海道の景気は冷え込んでいるが、そろそろ、冬眠から覚めて欲しいものだ。

 

2010/05/06

北見峠で吹雪に遭い、帰宅したら真夏日

 4月30日に、北見で甥の結婚式があり、連休の前半を北海道で過ごした。27日に函館出張。28日から休暇に入ったが、札幌では雪がちらつく寒さ。
天気予報では石北峠霙・・・と道内は強風に寒波。 それにしても、たまらん寒さで、防寒着を持参したのは正解だった。

29日の美幌峠は強風と濃霧で車を走らせるのも神経を使ったが、
30日からようやく晴れて摩周湖(左の写真)・屈斜路湖(右の写真)を見ることができた。

摩周湖は展望台への道が雪の壁。壁の間を吹き抜ける風はまるで冷蔵庫のような効果で体の芯まで冷え切ってしまうようだ。

5月1日に、兄の家に寄り、湧別川の近くだったので、散歩に出かけた。
ここはこれから春。
ふきのとう・スミレ・ネコヤナギが花をつけ、遅い春を味わってきた。
野生化したクロッカスがさわやかな色をつけていた。

2日に帰宅して、3日に行われた町の恒例行事に、孫が参加するのでビデオ撮影を頼まれたが、この日は23℃。5日は30℃の真夏日になった。

寒暖の差で、くたびれかけた頭の中が発酵してしまいそうな連休だった。
 

2010/02/11

四国には坂本龍馬とアンパンマン

 今年も、娘と先祖の墓参りで四国(高知県)に出掛けた。父親の先祖は高岡郡津野町で四万十川の源流近く、母親の先祖は長岡郡本山町で吉野川の源流近く。日帰り出来ない距離ではないが、往復800kmはちょっときついので、高知市内に1泊した。
 高知は今大河ドラマの影響で「龍馬一色」泊まった宿も龍馬の生家の跡が売り物のホテル。そこかしこに龍馬関連のパネルやら写真がかざってある。地鶏のすき焼きにかつおのたたきと名物を賞味し、舌鼓。

極めつけは、喫茶室のコーヒー。500円で龍馬が飲める。左が飲む前のカプチーノで、右が飲んだ後。ムンクのようになってしまった。

時間ができたので、「アンパンマンミュージアムにもよってみた。孫がいなくても、結構楽しめる。娘と一緒にはしゃぎまわってお気に入りのキャラクターと一緒に写真を撮ってみた。 

翌日は、本山町の母の先祖の墓参りをして、帰りに「こんぴらさん(金刀比羅宮)」に行ってきた。
娘と、「雨なら途中まで」と言いながら、ぜいぜいと息を切らし、歩いているときはさほどの雨でもなかったので、鳥居の度に一礼をしながら、結局御本宮まで上がることになった。

賽銭をいれ、二礼・二拍手・一礼で、家内の健康と安全を願ってきた。娘も私も今年が前厄と知り幸せの黄色いお守りを購入して、下山した。娘は3年有効のお守りを購入し、「3年後にまた来る」と言ってご満悦。
途中、書院にある「丸山応挙の襖絵」を見て、虎の柔らかな毛の表現に感動し、鳥居の前で店を出せる「5軒の鼈甲飴露店」で一番きれいな売り子の店で飴を購入し、呼び込みに誘われ「金毘羅うどん」を食べて、満足(満腹)の金毘羅参りになった。
一角に「丸金醤油」の店があり、マルキンが金刀比羅から由来しているのを知り、醤油アイスなるものも販売していたが・・・。

帰りの高速道路は土砂降りの雨で、前日までの暖冬が一気に気温が下がり、強風の道中だったが、ご先祖様のご加護か、金毘羅さんのご加護か、事故も無く無事帰宅した。

2010/01/12

左利き?右利き?

 毎夜、メタボ対策で、犬の散歩に約50分ほど出かける。気温も下がり、季節風にさらされてあぜ道を歩いていると、尿意を催してくる。犬のマーキングにつられて、犬と連ションをする事がある。(夜のあぜ道で人目も無く・・・・)
防寒の手袋を脱ぎ、ファスナーを下げて、小便をするのだが、ふと思うといつも左手でしているのに気がついた。ためしに、右手でしようとすると、我が愚息は寒さで縮こまっているし、指は下着の重ねに戸惑って思う場所に到達せず、ちびりそうになった。右利きなのに、小便では左利きの自分を自覚した。

 そういえば、かつて「実習工場の鍛造実習(懐かしい)」で、大ハンマーを振り下ろして、鉛の塊をたたいて延ばす実習があったが、このときも左利きだった。普通、右利きの場合、右手が先・左手が手元に来るらしい(野球の右打席の握り)が、私は逆手になっていた。言われてから持ち替えて振り下ろしたが、自分でも恐ろしくコントロールが利かない。同僚の頭に振り下ろしてはいけないので、すぐ元に戻したが・・・・(笑)。
他にも(運動神経の鈍さが本当の理由かもしれないが)、私は野球のグラブが扱えない。左手が、極端に不器用なのだ。補球に行っても、右手が出てしまうのだ。

 自分では、手先が器用と自信はあるが、右手に比べ、左手が極端に不器用なのだ。遊びで、左手に箸をもち、物をつまむことは出来るが、頭の中で、右手の動き・力加減を分析し、左手で扱う動作を緻密に考えてようやく動かせることが出来るだけ。パソコンのキーボードも一応両手で打ってはいるが、左手の使う範囲はごくわずか。右手が左手のエリアに食い込んできている。

 左利きの人の話を聞くと結構面白い。「字は右手で、箸は左手」など、すべて左手という人は案外少なく、両刀使い的な人が多く、感心させられる。
会社の部下で、マウスを左手で扱っているのが居て、聞けば「左手でマウスを使えたら、右手の活用範囲が増える」と考えて使っているそうだ。これもなるほどと思える。

日本ハムのダルビッシュ投手は、練習で左投げをするらしい。TV番組で話していたが、彼は変化球が得意で、自分の思う場所で思うように曲げられるそうだ。その投げ方の研究のため、左で投げて、ヒントをつかむらしい。

 散歩途中の立小便から、おかしな話になったが、普段使わない左手を使うとひょっとしたら健康にもいいかもしれない。一度自分の生活パターンを「右から」はじめる動作を、「左から」に変えてみたり、右手でしている動作を左手でしてみるとおもしろそうだ。

 

2010/01/10

雪遊び (1/10トップページの雪ダルマ

 年末から年始の寒波で、兵庫県北部も大雪だったので、久々に雪遊びをしようと、娘一家と但馬(兵庫県の北部)地方に出かけた。

 しかし、先日の雪の情報がうそのように雪が無い。昨年もほぼ同じときに出かけたが(雪の日・続き-1/12)、お気に入りの蕎麦屋の前に積もった雪は無い。一面の雪原を眺めて食べた蕎麦屋の窓からは、白い色が全く見えない。皿そばの味には満足するも風景の物足りなさに、雪遊びが出来る場所を探すことにした。

 考えたすえ、この近くで神鍋(かんなべ:兵庫県で古くからあるスキー場)方面なら雪があるはずと、足を伸ばした。
 予想は的中!融けかけの雪だが、ほどほどの量があって雪遊びには最適。スキー場まで行くよりも、その途中にある「但馬ドーム」なら駐車料は無料だし、人も少ないので、ここで遊ぶことにした。

さっそく娘達と孫は雪合戦。

 私は久々の湿った雪なので、雪ダルマを作ることにした。水分が多すぎて重過ぎる。年のせいもあるかもしれないが、腰を入れないと転がせない。ようやく胴の部分を置き、頭の部分を載せ鼻・耳・目とつけていくと、孫たちも参加。ついにはおっぱいまでとりついてしまった・・・

やがて、孫はそり遊びに夢中になり、私は創作意欲が沸いて、犬の像をベンチの上に作った。モデルは、我が家の真っ黒な柴犬の雑種。孫は「白いベンちゃん」と喜んでくれた。

帰りは城崎温泉で湯につかり、兵庫の冬を楽しんできた。

  

 

2010/01/02

新年の思い

昨年11月に義母が他界し、今年の正月は「喪中」。
年末に喪中はがきを送付し、案の定年賀状はほとんど無い。

 かつての上司から、年末に「寒中見舞い」が届いた。その気遣いに胸が熱くなった。
直属ではなかったが、技術的にも人間的にもすばらしい方で、この人になら安心して任せられる信頼感があふれていた。現役時代には、札幌ドームの空気浮上式移動グランドのプロマネをされ、全く新しい試みを見事成功させた。自分もこうありたいと思うけど、いつも足元に及ばない自分を見つけ反省させられる。

 自分は、「生涯現役の技術屋」を目標にしているが、環境はなかなかそうさせてもらいにくい状況になりつつある。
 昨年4月に上司が変わり、現状の組織で、部下に任せて指導重視の要求が出てきた。それはそれで大切な問題だが・・・。

 果たして現状の弱小組織の中で、一線を引いて部下に仕事を任せられるか。
 顧客への対応を、部下に任せると、心配事と責任だけが増えるだけという思い上がりの性格なので、かつての上司が「あんたに任せた」「あんたと心中だ」と殺し文句で私を手玉にとったように、はたして自分が出来るか・・・

 昨年亡くなった中尾元会長がよくおっしゃっておられた「少数精鋭という言葉があるが、これは少人数の精鋭で仕事をすることではない。誰でも少人数の環境におかれると精鋭になる。」という言葉をかみ締めて、思い切って若手に任せるべき時なのか・・・と悩んでいる。

 ある意味で、今年が自分の「現役技術者として対応する正念場」なのかも知れない。

 

2009/12/13

お葬式・法要

 先日 義母が亡くなって(享年86歳)、ついに「親」と呼べる人がいなくなった。
葬儀にかかわると、親戚・近所・知人などいろんな人が故人を偲んで、弔問に来てくれる。ありがたい話だ。
 葬式が終わって、それで終了かと思っていたが、次から次へと行事が待っている。近所のお寺が震災で傷んだので、檀家から80万円づつ寄付を集め、ようやく普請が終わったが、まだまだ不足するので、お寺さんの営業活動なのかと思っていたが、故人が、この世からあの世に行くための手助けをするのがその行事らしい。
(「坊主丸儲け」のお布施集めのイベントという認識を修正することになった)

ただ、中陰の法要には、住職では無くその息子(私の娘より若い)が回っている。
供養の意味を聞いたが、還暦目前の頭では記憶能力が怪しくて、インターネットで調べてみた。若坊主の言っていた事がわかりやすく記載されていた。(インターネットはとても便利だ)
七日(逮夜)毎に、いろんな仏様の前で、故人が生前行った(悪)行に対して裁きがあるらしい。
その他にも、法事というのは下記のように、審判する仏様が決まっているらしい。

初七日:不動明王      百ヶ日:観音菩薩
二七日:釈迦如来      一周忌:勢至菩薩

三七日:文殊菩薩      三回忌:阿弥陀如来

四七日:普賢菩薩      七回忌:阿しゅく如来

五七日:地蔵菩薩      十三回忌:大日如来

六七日:弥勒菩薩      三十三回忌:虚空菩薩

七七日:薬師如来

天真爛漫を絵に描いたような人だったから、多分、義母は天国にいけるとは思うが、この世に食べ物の未練が残っているやも・・・(なにせ、亡くなる直前まで、「ケンタッキー」が食べたいと言っていた人で、80才を過ぎても3ピースを平らげた人だから・・・)
そんな、義母のエピソードが山ほどあって、(私の娘を筆頭に)孫達が笑いを作ってくれた。

<満中陰法要(四十九日法要)>
人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。この期間に行なう供養を中陰供養といいます。
『梵網経』には、
例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあります。49日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。
また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。

(お葬式プラザから引用:http://www.osoushiki-plaza.com/library/sikitari/manchuin.html#pagetop)

2009/10/12

大腸ガン健診(内視鏡検査) 今後受検される方のために---克明(?)な経験記録

毎年会社の健康診断で実施される大腸ガン検診にひっかかった。

内視鏡検査を実施することになり、会社の系列病院にまず事前手続きへ。

 

手続きはおおむね次の流れ。

(1)採便で、鮮血反応を確認され本人に通知が来る。

(2)内視鏡検査を希望の病院で受診手続きをとる。

(3)内視鏡による詳細検査の前に、医師からの説明を受ける。

というよりは、内視鏡検査で、万が一腸壁を傷つけてしまうことがあるが、それでもよければ同意書にサインして。というのが主旨で、検査前日に服用する下剤をくれる。

(4)前準備 検査3日前から排便状態をチェックし、食事は繊維質をさけたものにする。

(5)前日21時と22時に2種類の下剤を服用

(6)当日8時半に病院に入り、午前中下剤を1.8L飲んで、おなかの中を空っぽにする

(7)午後から、内視鏡の検査をし、もしポリープ等の異常があれば採取

(8)採取したサンプルを分析・診断

<家族会議>

老人介護をしている娘が下剤の袋を目ざとく見つけ、「これ一瓶飲むん?数滴でお年寄りはオムツが水浸しになるのに。どんなんなるんやろ?」と興味深々。家族会議(?)の結果では、当日の電車で移動する事は、最悪電車内でぶちまけてしまう可能性大。本人の名誉のために、病院の近くに宿泊すべし。結果については仔細を家族に報告する事になった。

 

以下、内視鏡検査までの顛末を・・・

 

9月9日(水) 

 <検査前日:夕食ご近所のホテル入り・下剤を賞味?>

会社を6時前に退社し犬の散歩を済ませ、風呂に入ってから自宅で早い夕食(まるで最後の晩餐?)といってもオカカのおにぎり2個+高級梅干を食べた。

目の前で孫が、顔中ご飯粒をくっつけて一緒におにぎりをほおばっている。

カミさんに駅まで送ってもらい、電車でホテルの最寄り駅まで。少し、遠回りしながら9時前にホテルに到着。

着替えて、いつでも寝られる体制になる。

 

21時07分 ラキソベロン10mlをコップ一杯の水に溶き 一気飲み(少し甘い)

   24分 おなかがすこしグルグル言い出した。(娘の話だと、ここで即効でトイレ直行のはず・・・)

   35分 ペットボトルの「ウーロン茶」を飲むと、きゅるきゅると少々痛み

22時06分 プルゼニド2錠を服用

   15分 ペットボトルの「爽健美茶」を自販機で購入(がばがばと飲む)

   32分 便は出ず(T_T)・・・・眠りにつく

 

9月10日(木)

<事前の排便---下剤の効果と時系列>

4時20分 出ず

5時20分 ガスばかり・・・

6時00分・35分・54分・7時35分 微量の排便
  (前日昼、会社の給食に出た「金平ごぼう」の繊維が悪かったのか・・・?)

7時30分 ホテルをチェックアウト(当然、朝食抜き)

8時過ぎに病院に到着

  事務手続きの案内に従い、対応

8時30分 採血(止血の性能を確認するらしい)

  相変わらず、静脈が出ず3箇所空振りし、4度目にようやく血管にたどり着く

  (平岡看護師さんあなたのせいではありません。採血場所が暗いんです)

8時35分 下剤をくれて、部屋に案内される。

    部屋は小ましなビジネスホテル並みで、当然トイレ・ベッドと机とテレビ付

  38分 マグコロールP(1800mlのパック入り)を飲み始める

  48分 1杯目飲み干す(10分で1杯ペース)味はポカリスエット風で悪くない。おなかに変化なし

  58分 2杯目飲み干し

9時18分 3杯目飲み干し(≒900ml)

  25分 ①微量の排便(ウォシュレットは水勢が弱い)

  40分 4杯目

  45分 ②水状の便が出る

10時03分  ③水状の排便(固形の残便感あり)

  08分 5杯目

  26分 6杯目

  44分 少なめの7杯目1800ml 飲み干しました)

  46分 ④水状の排便(肛門がひりひりする)

  50分 排便の状態を看護師さんに報告。便のサンプル画像(グロテスクですわ)と比較し、状況を問われる。いまいちなので、運動と水分摂取の指示あり。

11時00分 売店で「からだ巡茶」を購入 廊下を行ったりきたり。オリの中の熊を想像・・・・

  25分 ⑤排便 ほとんど水状だが、まだ色濃い (水気をとって足踏みランニングで便意)

  35分 ⑥排便 かなり色が落ちた(もう一息)

  37分 からだ巡茶(410ml)飲み干し、さらにアクエリアスを一本購入

  53分 ⑦排便 ほとんど小便状態(肛門のひりひりはだんだん酷く・・・

12時07分 ⑧排便 もう小便並み(肛門が痛い・ズボンの上げ下げがめんどくさい)

       昨夜の睡眠不足でウトウトするが、尻がトイレを督促する

 14分 腹減った。何か食いたい(終ったら何食おうかな?)

      水気の取りすぎ?気分が悪い。落ち着くまで飲むのは止めとくことにした

   30分 ⑨排便 小便も一緒に一気にシャー状態

13時 排便の状況報告し、OKが出て、いよいよ検査室で、内視鏡検査
 

<検査の状況>

すっぽんぽんになって、尻の部分が穴があいて、ふたのある下着を着用し、うわっぱりを羽織る。

診察台に上がり、横向きの姿勢で尻を突き出す。

検査の医師が、「力を抜いて下さい。局部麻酔をしますので・・・」と言いながら、尻の周りに麻酔薬を塗りたくる。きれいな看護師さんの細い指で優しくという願いも虚しく、「オッサンなにさらすねん!、ケツの穴はただれてヒリヒリすんのに、もうちっと優しくせんかい!」と心の中で泣き叫んでも聞いてはくれず・・・

やがて、目の前のモニターに我が肛門様から侵入したカメラの画像がデカデカと写しだされる。

「おっ 割ときれいやんけ」と思いつつ、カメラの先から空気がどんどん充填され、腸内はパンパン。

屁が出る<`ヘ´> シブキになって出てまう~」 と我慢していたら、看護師さんが「我慢しなくていいんですよ、ガスが出そうになったら出して下さい」と・・・理性のとりこになっていた私には天使の声に聞こえた。

 

カメラは、たまった水気を吸い出し、エアを充填しつつ、直腸からS字結腸・・・(あとわからん)・・・と、どんどん進み、大腸を一周して盲腸のところで終了。引き返しながら、要所を写真に撮っていた。

 

結果「異常なし」\(^o^)/ やっぱ、便秘の雲古で、切れた時の血がひっかかったのだと、自己評価。

 

というような事で、帰りは糖尿の天敵 「禁断の天丼」 を食べて家路に着く。

前日の夜7時から16時間ぶりの食事は、さぞかし美味しいはずであったが、水気ばかりで、腹は落ち着かず、結局翌日朝まで腹はぐるぐる。

 

大腸内視鏡検査の顛末でした。これから検査を受けるときのご参考まで・・・。

 

2009/10/08

クラス会に参加

 10月3日 中学校のクラス会に参加した。卒業生44名のうち3名が他界し、今回の参加は17名。来年還暦を迎える年のオッサン・オバサンが先生を交えて、15歳にタイムスリップする。話せど話せど話題は尽きず、5時に始まったクラス会は、2次会・3次会・4次会と場所を変え、話あり・カラオケあり・焼き鳥ありで、気がつけば朝の2時。2次会・3次会は夫婦で参加するもの、高校の同級生の店など、また新しい話題が始まる。
 シャイだった昔とは打って変わって饒舌になった旧友、打ち明けられなかった恋心を打ち明け、同じ彼女を好きだったとか・・・いくつになっても恋の話題が一番楽しい。あの時心ときめかせた憧れの彼女はただのオバサンになっていたり、あの時気がつけばよかったというくらいの美女に変貌していたり・・・。でも、話せば素朴な15歳に帰る。
 卒業以来の再開出来た者との懐かしい話。常連の参加者でも、会えばまた昔の話と延々と楽しい話は続く。
 東京オリンピックを教室で観戦するため、教室に1台づつのTVがついた。その費用は、生徒の農作業(芋拾い)の報酬2年分で賄った。(今思えば、授業を放棄して農作業を学校単位で行うなんていうのは、もっての他なはずだが、世の中が認めていた)

今回は、担任の先生が、「体も弱っていてもう先がない。近場で頼む」との事で、会場・日時を決めたが、見渡すとこの先生が一番元気だった。(耳は遠くなっていたが・・・)
最後には、次回の開催日と場所を一年先に決めて再開を楽しみに別れた。いつも思うのは同窓会にしろ・クラス会にしろ、お互いがどんなに疲れていてもみんなが元気をもらって帰れること。
水野さん風に言えば 「いやー、同窓会ってホントに良いもんですね!」

翌日、時間が出来たので、能取湖のサンゴ草を見に行ったが、2週間前に終わっていた。仕方がないので、能取岬に行ってきた。

2009/09/21

旭川総会に参加(余話)

9/19の旭川で開催された本部総会に参加してきました。目的は来年開催の支部総会の宣伝と言いながら、実は単純に総会に参加したかっただけ?

今回は、常連の土谷(7C)さんが、現在リハビリ入院中なので、責任重大?と言いながら、あまり肩肘はらず、リラックスして参加する事にしました。
参加目的の一つは、「コロポックル山荘」で、五十嵐君(右の写真)の打った蕎麦を食べる事。札幌近郊に居る、いろんな人をお誘いしたのですが、金曜日の昼では、サラリーマン現役の人にはやや辛いようでした。結局、一番暇な(?)土井先輩(3M/HP委員長)と、倉内君(7M/札幌支部長)がやってきてくれました。
お二人を待つ間、(早朝の朝飯だったため)腹の虫が鳴りっぱなしで、奥さんに「お待ちしますか?」の問いかけに対し、「すぐ食べます!」と言って、ご自慢の「辛味大根蕎麦」は、あっという間に無くなりました。蕎麦を待つ間に出してくれた枝豆・とトウキビは、三人で平らげ、メタボを忘れたひと時でした。(写真を撮るのも忘れてました)

今回の参加は、大連休の初っ端だけに、旭川便は予約できず、ようやく採れた航空券は、前日の神戸-千歳便、帰りは20日の千歳-神戸便で、結局連休を楽しむ余裕もなくトンボ帰りの日程になりました。
18日は野幌のコロポックル山荘に寄り道し、丸瀬布の姉の家から「
マウレ山荘」の湯(右の写真)につかって至福のひと時。翌19日は佐呂間まで走り、新築の姉の家と姉の初孫に対面して、美味しい搾りたての濃厚牛乳をいただいて、旭川に戻りました。

理事会では、役員改選の時期になり、会長の交代、組織改訂の話もあり時間いっぱいまで審議があって、やや疲労。
ようやく解放され、総会(懇親会)会場には、若い同窓生がわんさか(女性会員もいっぱい)いて、まさに「New story starts」の雰囲気でした。我々のテーブルには、3期~6期の同窓生がいて、諸先輩はリタイヤ後の話、再就職・再雇用の話で盛り上がり、懇親会の最後は恒例の第一応援歌と、浅利支部長のエール、万歳三唱は杵築先生の音頭でお開きになりました。(それにしても杵築先生は若いです)

総会から、幹事役の後に続いて・・・・わらわらと2次会の会場へ。今回は、倉内君ともども、何故かしら 肌をいっぱい露出したきれいなネエチャンがいて、杵築先生・1期・2期の大先輩が仕切るVIPルームに紛れ込み、やや委縮(?)して水割りをちびちび・・・・と言いながら、大先輩の前で2曲も歌ってしまいました。(すんません)

その後、懇親会に出席された○○先生と意気投合し、うろうろしながら、結局同じビルの8階に上がって、生ピアノ演奏で「ビートルズ」や「イルカ」の歌を歌うはめになって・・・・翌日は声がかれてました。
「27期/制御卒です」という後輩が、なぜか私の隣の席に座っていて、「ソフト関係の仕事をしてま~す」とか・・・。「うちの会社に来ないか?今はロボットをコアにした生産ライン設備の仕事をしているが、制御屋がほとんどいないので、外注に依存。その気になったら、ユーザとのレイアウトプランからハードの設計、調達から現場調整まで何でも出来るよ~」と誘ったけども、「夫婦で同じ会社に勤めているので無理です」とあっさり断られた。(某一流大手企業だったので、給与面・福利厚生でも良いんだろうな・・・・)
ならば・・・と高専の「新卒予定でやる気のある後輩」を紹介してもらおうと、先生に頼む事にしたが、「最近の学生は・・・」という先生のトーンダウンした話。でも、よく考えると、今は偉そうにしてるけど、我々も若い頃には「最近の若い奴は・・・」と言われてきたような気がしますよね。

 

2009/09/13

青森温泉三昧

8月28日~29日家族で青森に旅行してきた。(私は約35年ぶり)

今回も、カミさんの綿密な旅行プランにのっとって、孫を含めた5人旅。
カミさんは先日友人と3人の旅で、青森の温泉の良さと、弘前ねぷた村で「ねぷた」の魅力を発見し、今度は「青森ねぶた」の比較が目的。娘の亭主はJA勤務のため、田舎館村の「田んぼアート」とおいしい料理。私は言わずと「温泉めぐり」が目的。 

念願の「酸ヶ湯温泉」の混浴(と言っても、女性は娘が入ってきただけ)で、大好きな硫黄泉を堪能したのを皮切りに、「猿倉温泉」、「板留温泉/丹羽旅館」の風呂に入り、そして宿泊はりんご畑の真ん中の観音様が目印の「南田温泉/ホテルアップルランド」。

アップルランドは、文字通り、りんご一色のホテル。宿泊客用の露天風呂にはりんごがいっぱい浮かんでいた。でも、私は最初に掘ったという源泉風呂、ガスに硫化水素が混じっているようで、風呂場は硫黄泉の香りが立ち込め、お湯も心なしか濃いような気がした。

宿の食事では、従業員の心遣いが気に入って、家族はすっかりフアンになっていた。たっぷり広い部屋を使わせていただいて、前日の雨も上がって夜明けの山並みがくっきり。朝食のバイキングでりんごジュースを堪能し、出発。

りんご畑と田んぼの間を走り、目標は田舎館(いなかだて)村の田んぼアート。ホテルで聞いた情報では、田舎館村役場の前が目的地らしい。ナビに従っ走っていると田んぼの真ん中お城風の建物が見える。それがだんだん大きくなって、目的地がこの建物。村の文化会館の上が展望台になっている。5種類の色の稲穂で絵を描いている、今年は大河ドラマの直江兼続とナポレオン。見事としか言いようが無い。案内看板を見ると、初期のものはシンプルな絵柄から毎年グレードアップして、まさに「田んぼアート」一見の価値はある。広場のテントで地元の方が売っている梨とリンゴを買ったが、まだ時期が早いようで、味は今ひとつだった。

感動を後に、岩木山の裾野の行けども行けどもリンゴ畑の間を走って、口コミ情報で評価のたかい、「嶽温泉/木島旅館」で硫黄泉を堪能。もちろんかけ流しで、熱い湯とやや温度を下げた浴槽が並んでいる。ここの風呂は病みつきなりそうだ。

またたっぷり汗をかいて、岩木神社で手を合わせ、最後は、岩木山の裾野にある「新岡温泉」。ナビを頼りに、たどり着き入り口で入浴料を払い風呂場に向かう。脱衣場入るとなんと男湯・女湯の間に番台がある(無人でしたが・・・)。まさに、地元の人が農作業の後に汗を流すための温泉の風情。いかにも地元という皆さんが石鹸・シャンプーを持参して、入っておられる。風呂場の窓は開け放され、見れば目の前を道路が通っている。ということは、道から風呂場は丸見え(笑)

もうひとつ期待以上は、「ねぶたの里」での大太鼓と「跳人」の体験。孫は帰宅してからビデオを再生し、「らっせらっせ」と言いながら踊ってる。弘前では、太鼓をたたかせてくれて、目一杯打ち鳴らすと、実に気分爽快。ついでに津軽三味線の演奏。2曲ほど聞かせてくれたが、女性で日本一になった方の演奏では、なぜか涙が出てきた。体験で津軽三味線を始めて弾いてみたが、これも癖になりそう。

天気は晴れ。岩木山を眺めながら、最後は空港近くの道の駅に寄って、店の中でまるで置物のような梟に出会い、孫と記念撮影。

今回は都合6箇所の温泉三昧。いやー青森はいいわ! 九州も良いけど、八甲田山周辺と、岩木山周辺に適度な距離で点在する温泉は結構はまりそう。

2009/07/22

ナイター観戦

阪神ファンの甥親子の誘いで、甲子園にナイター観戦。

低迷する阪神に、「前半戦最後のカードで、なんとか勝ち越しを願って」などと、期待すると落胆が大きいので、孫たちと甲子園を楽しもうと参加。

3連休の最終日、ワゴン車で出かけたが、なんと普段の倍(2時間)もかかってようやく近くの駐車場に到着。(オマリーが甲子園に駐車場はオマヘンと言ってますが、隠れたところにちょこっとだけあります)

座席は、ガチガチの阪神フアンが陣取る外野席バックネット横のライト側。ライト平野のすばらしいプレーに、「ヤクルト青木」の敵ながらあっぱれのプロの守備に感動でした。

先発下柳・捕手矢野の熟年バッテリーで試合開始。結局ココゾのチャンスで新井がブレーキ(特に盗塁タッチアウトは無残の代表格)で低迷阪神の象徴的なプレーでした。最終回金本の併殺打で試合終了。ストレスのたまる試合でした。

それでも、甲子園デビューの、孫にとっては 旺盛な食欲と、太鼓・ラッパと応援の掛け声、そしてジェット風船が印象的だったようです。

オッサンには適度な暑さに「生ビール」が何といっても最高な夜でした。
左の写真は地元「サンテレビ」の中継車です。

2009/03/29

城崎温泉

久々に城崎温泉に行ってきました。

理由は、昨年夏 たまたま投稿した俳句コンクールに入選したので、その表彰式に参加にかこつけ、温泉につかるのが目的。

入選の通知が届き本人がびっくり。俳句など中学生以来。夏の日曜日、娘家族が海水浴に行く車に便乗して、城崎温泉の外湯を3か所ほどハシゴして、暇つぶしに投稿した一句。
本人も記憶にない。 「城崎百人一句」の95番目くらいに選ばれたらしい。応募が4691句だったらしい。

  「蝉時雨 とんぼと入る 露天風呂」

よく見たら 季語に夏と秋が混在し、結果怪しげな一句ではあります・・・ (^_^;)

と言いながら、生まれて初めてのことなので、表彰式に参加。「城崎百人一首」と一緒の表彰式で、参加者のほとんどが、最優秀賞・優秀賞・佳作の人たちばかりで、入選者の参加はわずか・・・いい経験でした。

で、表彰式もそこそこに、カミさん・娘の家族と一緒に、温泉につかってきました。(右の写真:城崎温泉鴻の湯にて)

3分咲きの桜を眺めながら、最高気温10℃程の下、相変わらずよく温まる湯でした。

 

2009/02/22

霧島神社

また、鹿児島旅行に行ってきた。今回は、我々夫婦+娘夫婦&孫+姪夫婦。
今回は、姪夫婦(新婚)が初めてなので、お決まりのコースを堪能した。
指宿の「砂蒸し」と「さつま味の料理」、桜島を回って 霧島温泉に1泊。霧島温泉では不覚にも湯あたりを起こし、自慢の食欲が皆無。

翌日は、ホテルの窓から、これぞ霧島と言えるような朝霧を味わった。夜の不覚を挽回すべく、バイキングの朝食を味わって出発。

目的地は霧島神社。好きなのは、噴火で焼けた元の霧島神社の跡地の方。(写真)

天気予報では、この日は曇りだったことが嘘のように、よい天気に恵まれ、高千穂の峯もくっきりとその稜線をみせていた。
ここは、天孫降臨の地といわれる土地柄。ここに来ると、神々の結界の中にいだかれ、身も心も浄化されるようで、すこぶる気持がいい。

そして締めは、やはり温泉。湯量が自慢の「霧島ホテルの大浴場(混浴です)」と、「さくらさくら温泉」で泥パック。硫黄の匂いが数日体にしみこんでいた。

空港では、さつま揚げの試食と、「おやっとさぁ」の看板のある足湯に浸かって・・・♪。
心身ともにリフレッシュができたような気がする。

 

2009/02/11

鴨南蛮そば

今日は、国民の休日「建国記念日」ということだが、我が社は出勤日。世が世なら「非国民」扱いにされるかも・・・
という事で、一日仕事して明日は名古屋に出張する予定。名古屋も、トヨタの不振のみならず、ボーイング787が未だ初飛行出来ない事で、航空機業界も昨年までの景気は嘘のように元気がない。

ところで、昨年暮れに、起こった「タクシー運転手強盗殺人」の犯人が逮捕され、私の散歩コースで発生した事件がようやく解決された。犯人は19歳の派遣社員。人を死にいたらしめるという事に対し、麻痺しているのだろうか?

先週、我が家のカミさんは、知人が参加するイベントのおまけでマルタ共和国に行っていた。私は仕事で近隣の国に日帰り同然での出張経験しかなく、およそ「海外での観光」というものをしたことが無い。今はパスポートもきれている。
還暦になったら、「オーロラ」を見にカナダかアラスカに行ってみたいと思っている。

カミさんが留守の間、急に美味しい「鴨南蛮」を食べたくなって、丹波・篠山まで出かけた。
お供は、娘夫婦と孫。たち切り蕎麦で有名な店に3年ぶりに出かけてきた。
名物の鴨南蛮は、レアの鴨ロースをアツアツのそばの上におかれたもので、はじめて食べた感動が忘れられず、また出かけたもの。
ところが、あの味は何処に・・・鴨のうま味が感じられず、蕎麦のつゆもいま一つ。値段だけは昔のまま。聞けば娘たちも同じ感想だった。

孫が食べた「かけ蕎麦」のつゆはカツオがきいてとてもうまかったのに・・・何処が違っているかわからないが、継続することは大変なようだ。

 

2009/01/12

雪の日・続き(1/12)

3連休も最後、娘家族が、「雪をみたい・雪遊びしたい」と、兵庫県の北部へ行くというので便乗。一昨日の雪も上がり、天気は快晴。1時間半程で一面の銀世界の中。
孫よりも、娘が大はしゃぎ。
(カミさんは風邪がぶり返し、養生で自宅で待機)

出石で蕎麦を食べて満腹し。豊岡の「コウノトリの郷公園」へ。
放鳥された、コウノトリが、大空を群舞している姿に感動した。
飛翔している写真は撮れなかったが、公園のコウノトリは撮影することができた。

仕上げは、城崎温泉で雪見温泉。

孫と、露天風呂で雪遊び。

カミさんには娘が、土産の「地ビール」を買い、ついでの肴で、帰宅後自宅で酒盛り。地ビールはだいたい、美味しいと思うのはないのだが、城崎の地ビールは、
結構うまい。かつては、この地ビールレストランが城崎の外れにあって、温泉帰りに「うまい料理+地ビール」が楽しみだったが、レストランは閉鎖してしまった。(ここのシェフは、神鍋のホテルにいるらしいので一度行きたいと思っている。)

3連休は、酒飲みだった義理の弟の49日の法要もあって、体重が2kg増。 犬の散歩で少しばかりの運動を・・・

 10日:岡山の真賀温泉
 11日:法要(その後、エンドレスの宴会)
 12日:出石そば、城崎温泉

明日からは、また仕事。昨年秋から始めた自転車通勤は、メタボ対策に効果が大きく、できる限り続けるつもり、行き25分、帰り35分の道を汗をかいて通勤している。

2009/01/11

雪の日(1/10)

異常気象が続く昨今。まるで春先の大雪のような気圧配置になっている。東京で雪が降ると、大騒ぎ。NHKも民放も、メディアは東京ローカルの話を、まるで全国扱い。
北海道のオホーツク海側でも猛吹雪。西日本でも各所で大雪があり、
道路も通行止めが発生。

こんな日は、雪見温泉とばかりに、2時間かけて岡山県まで・・・。

いつもは、経費節減(?)のため軽四で出かけるが、この日はツーリングワゴンにスタッドレスタイヤを履いて快適にドライブ。やっぱ軽四より楽だわ。(普通車はいつもカミさんが使ってるのでね)
米子道の約4kmの長いトンネルを抜け、湯原に入ったとたんに、一面銀世界。道産子のDNAか、雪をみると心の中は「おおはしゃぎ」。

木の目は、春の準備に入っていました
(クリックすると大きな画像になります)

お気に入りの、真賀温泉で、筋肉と最近痛み出した膝関節をほぐす。この温泉は、肌に触れると「ぬるっとする」。お湯自身は、さらっとしたお湯だが、体の表面に微細な泡がはりついて、これがぬるっとした感触になる。炭酸ガスが混入しているのかもしれない。30分も入ると、血行は良くなり、かなりぬるめのお湯だがよく温まる。久々に来たからと、長湯しすぎると湯あたりすることもある。

帰り道は、一般道を南下して、勝山(真庭市)で蕎麦を食べるのがお決まりのコース。
最近は、中国道「勝央SA」で、「焼き芋」を買うのがお決まりに増えた。1本250円だが、芯までホクホクでとても美味しい。今回は3本買って、1本は車の中で、1本は孫の土産にしたが、かなり太いイモだったがペロリと平らげた。恐るべし2歳の食欲。思えば、この子の母親(私の娘)も大喰いだった。

 

2009/01/03

新春の思い

新年あけましておめでとうございます

いつも、犬をつれて散歩しているコース稲美町天満大池公園:写真)で、昨年末に「タクシー強盗殺人事件」がありました。
それまで、散歩は帰宅後の夜か、休日でしたが、そんな事件があってから、昼間だけにする事にしました。
左の写真は、事件の前日の朝に撮影した現場付近です。翌日も同じ時間に散歩をしていてら、事件直後に遭遇していたかもしれません。所轄の加古川警察署では、一昨年の別府小学校での児童殺人事件も未だ未解決。我が家の周辺も安心して暮らせる環境ではなくなってきました。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
右の写真は、この公園にある「サンシュユ」の木があって、晩秋に真っ赤な実をつけます。

年が明け、元旦は、この公園に隣接する稲美天満宮に犬と一緒に初詣をしました。その帰路に「田んぼに昇る初日の出」に手を合わせ、今年一年の 家内安全・無病息災をお願いしました。

昨年は、仕事で150tを搭載し空気浮上で搬送する製品「エアキャスタ」を出荷しました。(右の写真:試運転で、2台連結の半分の台車に75t搭載してます
 この年になって、新しい分野の製品を設計する仕事ができる
喜びをかみしめています。定年も間近になりましたが、「生涯現役でのモノづくり」を目標にました。

 年末恒例の「高専ロボコン」のテレビ番組を見て、高専で学ぶ若者のポテンシャルの高さに感服しました。津山高専の大車輪するロボット、耐久性・操作性を重視し完成度を高め、総合優勝した沖縄高専のロボット。どちらも目標を明確にして、モノづくりに取り組んだ結果であり、我々にも勉強になりました。素晴らしい結果でした。
(今年は旭川の全国大会出場を期待しています)

 

2008/07/25

異変の前兆?

先日、岩手で地震があった前日夕方、東の空の雲が、放射状になっていた。夕方の夕陽のが雲の切れ間に当たる光で、放射状になるのはよく見るが、反対側東の空だったので、不思議に思った。その晩、岩手での地震発生との事で、何か因果関係があるやもと勝手に思っていた。

今日は、会社の定時退社日で、久々に日がある時間に帰宅し、犬の散歩を始めると、またしても同じような空。何事もなければよいが・・・
異変続きの最近の気象。温暖化だけなのか?それとも地球が活動期に入ったのか・・・・

最大の異変は、私のHPアップのピッチかも・・・ (^_^;)

2008/07/23

茅森温泉

19日から、親会社の工場が「電力休暇」と称する、最初の夏休みに入った。

今年は、19日が同窓会 20日はHPのアップで休日。翌21日は岐阜に出張。22日は24日から据え付け予定の機械の工場検査。
24日までの連休予定だが、24日は東京出張なので、今日は思い切って休むことにした。
 (本来当たり前)

今週に入ってから、体が溶けてしまいそうなくらいの酷暑。(関西では、7月の最高気温を塗り替えたらしい)

こんなクソ暑い日は・・・と、岡山/湯原温泉郷の秘湯「茅森温泉」に入ってきた。

中国自動車道-米子道を走り、湯原インターチェンジで下車。湯原温泉方面に少し走ると、信号機のある交差点に「郷緑温泉」の看板がある。これを500m程行くと緑色の橋があり、これを渡りきって右折し、行きどまりに「茅森霊苑」がある。その下の河原に木の囲いで河原側を目隠しした露天風呂がある。

予測どおり、今日は水曜日で、普通の人は出勤日であり、入浴者は私だけ。きれいに掃除されていて、むちゃくちゃ気持がいい。
温水プールくらいの、むちゃぬるめのお湯で、もぐったり、空を見ながらプカーッと浮いたりして、堪能した。(むろんフルチン)
足元からお湯の湧き出る感動はないが、交じりっけなしのかけ流し。ここのお湯も病みつきになりそうなお湯だ。

先日、はじめての入浴で、一緒に入浴している方の会話から、茅森温泉の
状況が分かった。
1)茅森温泉のオープンは、6月26日=6.26(露天風呂の日)~9月末まで
2)この温泉は地元のボランティアで管理されている
  (実質50軒ほどの自治会で運営か?)
3)温泉の整備は20年程前の湯原一帯の大水害で「激甚災害」の指定を受
 け、すべて国の費用で整備されたもの。囲いは、パネル構造の筏式にな
 って、水害にあっても流されないようにワイヤーで固縛されている。
4)囲いの老朽化がすすんでいるが、補修費用がない。
 最近は地元の人の入浴者も減り「(我々のような)他所者が、タダで入浴し
 て汚すだけ」清掃も2時間ほどかかるらしい。(実施に際しての不平も・・・)
 入口に料金箱でも置いたらと思うが、「賽銭泥棒」が持って行っちゃうかも
 しれません。

(霊苑効果もあり?)
体もひんやりしたので、地元の方に感謝し此処を後にした。

仕上げはいつもの「真賀温泉」。ここに250円也を支払い、1時間ほど浸って、孫の汗疹対策の温泉水(260円/20L)も仕入れ、汗みずくで帰って来た。

(湯原界隈のお勧め土産:私の気に入り)
 ・青大豆豆腐(下湯原/ひまわり館)+おから
 ・蒜山大根(1本百円)
 ・湯原のカステラ (長崎さんに負けずとおいしい:700円)
 ・落合の「田舎羊羹」---表面がパリッとした羊羹(470円)勝央SAで入手可
 ・サラミソーセージ(下湯原に売ってました)
 ・蕎麦「一心庵」:真賀から地道を勝山市街出て、木材ふれあい会館の隣

 

2008/07/21

夏の命

 国民の休日の日、「非国民?」の私は、猛暑の中 各務原市まで片道250kmの道のりを車で出かけた。目的は営業活動と、帰り道に明日試運転予定の製品の進捗確認。(仕事とは言え、地球温暖化に逆行する行為にちょっとだけ反省)

うだるような暑さで、いささかへばり気味だが、帰宅すると娘(隣に住む長女)が大騒ぎ。

庭の植木にかけていた、虫干しの玄関マットにセミがしがみついている。この暑さに、地中を這い出し、庭木をよじ登って、羽化しようとしていたらしい。

数時間たち、そろそろ脱皮が済む頃を見計らって、夕暮れに観察。うす緑の羽が見事だった。抜けがらは、土がついたまま。
クマゼミは地中に5年というから、このセミは私が今の職場に転籍する前、ストレスがピークにあった頃にこの世に生まれてきたのだろう。ほんとに御苦労さまでした。
あと4日程、暑苦しいせみ時雨の合唱の中、恋をして、新しい命
に引き継いでいく。
地球温暖化が急加速で進んでいる今、次の世代にはどんな世の中になっているのだろう。

さっそく、デジカメで撮影をした。
羽化したばかりの輝く羽が写っていいると良いのだが・・・・。

←左は抜けがら、  右は、翌朝の写真→

 

2008/07/20

猛暑の昼さがり

 西日本支部の総会は、初回から7月の夏休み突入時期に開催されてきた。理由は本部総会の日程に合わせ、それより前に開催しようという事から。
 毎回、暑い時期の開催だが、今年の名古屋の暑さも格別だった。とりわけ、暑さで印象に残っているのが、初めての京都 祇園祭の宵宵宮の日に開催した時と、4年前の神戸開催時の2次会のビアガーデン。今年の名古屋の二次会は5時過ぎにスタートなので、生ビールの味は格別でした。
 いつも、同窓会に参加すると元気をもらって帰る。

 一夜明けて、きょうも うだるよう暑さの朝。二日酔いもなく、朝からHPの更新で一日パソコンの前。こんな日は、先日行った、岡山/湯原温泉郷の秘湯「茅森温泉」は、ほぼ人肌の超ぬるめの湯に行きたい という思いはあったがHPの更新に時間がかかって行きそびれた。(何せ、片道150km/2時間。軽四で走っても、往復の交通費とガソリン代で1万円弱)
 カミさ
んは友人と淡路にでかけ、娘と孫も午前中用事。結局家残ったのは、私と犬。
黒装束の番犬は、この暑さに耐えられるのかしらと思い、眺めると植込みの根元にへたり込んだまま。

一段落して、気がついたら、昼を過ぎの2時を回っていた。 外から孫のはしゃぐ声。カーテンを開けのぞいてみると、行水の真っ最中。水遊びは、いくつになっても楽しい。炎天下、デジカメを抱えて、孫を被写体に数枚。くだんの温泉はアセモによく効き、一発で解消。今年の夏は、孫の汗疹予防を口実に、岡山に出かける事が増えそうだ。

 

2008/07/13

医者のスキル

 今度は眼科。先日(金曜日)名古屋に車で出張(片道2時間半~3時間の日帰り)して、帰宅すると左眼が真赤になっていた。痛みも無いが、あまりに赤いので、(ひょっとして、かわいい孫を目に入れたせいかもしれない) 翌朝眼科に出かけた。

近所に眼科が開業し、娘の評価では、「夫婦で診察してるので、待ち時間が少ないので便利。」との事。
 行ってみると、事務・看護師とも若く活気が溢れている(病院に活気というのもおかしいが??)。一応、問診表に記載し、ついでに糖尿病の合併症検査もしてもらった。土曜日の午前という事でもあり、患者さんが20名以上待っていたが、30分ほどの待ち時間で診察してもらった。(医師も若く、男の医師で未だ30代?)

 診断の結果「血管が切れたのでしょう。数日で治まると思います」との事。私(患者)にしてみれば、「血管が切れたから、白目部分が真赤に充血しているのは結果」であって言われなくても判る。
 でも、その原因(推定される遠因)を知りたいし、その原因になりそうな内容を聞いて、予防が可能になると思うのだが・・・・。とりつく島がないような言い方なので飲み込んだ。
先日の、下痢の処方箋を出した医者とは大違い。

 ついでの、糖尿による合併症の検査結果も、「異常なし」だったが、HbA1cの値だけみて、「70を超えているから、3か月に1回検診してください」との事。言い方にもいろいろあるが、糖尿手帳をみれば、状況の推移が判る。眼科医より、私の方が自分の状況は把握しており、70を超えてはいたが、今は下降し始めた状況であり、「定期的な診断を続けてください」とか、「70前後で推移しているようなので、続くようでしたら、3か月から半年に1回程度検診された方がいいですよ」ぐらいの言い方ができんもんだろうか?

 以上の総合評価として、私のこの医師の採点は「×=やぶ」。近場の便利な眼科程度とし、緊急治療的に利用すべきところであって、新しい発症の時には行くべきで無い。

理由は、治療は当然だが、患者の立場となって、不安の原因を除去してやる事と、予防を推奨するのが医師であるべきと思う。(若造の医者はアカンわ)

そういえば昔「偏頭痛」がひどくなり、近所の医者に、「これは偏頭痛です」と言われた事を思い出す。
 結局、その原因を知ったのは知り合いに紹介された「カイロプラクティック」で、「
あんたムチ打ちしとるな」と言われて、思い当たる事があり、その原因が判明。その後これが進行し「頸椎ヘルニア」にまでなって、時々頸椎のズレを矯正してもらっている。(年と共に無理がきかなくなり、ケアが必要)

という事で今日も岡山真賀温泉まで出かけてきました。片道150km 入浴料金250円、自動車道の通行料:5400円、ガソリン代:3700円、孫の「アセモ」に効くので、温泉水も購入し260円/20L也でした。
真賀温泉の浴槽で情報収集し、念願の「茅森温泉(無料の露天風呂)」にも入浴できました。この温泉は6月26日(露天風呂の日)にオープンし、9月まで入浴可能できるようです。

 

2008/06/28

TV三昧・医者の眼力

オリンピックが近づき、大型家電販売店は「大画面のデジタル放送対応」のテレビジョンとブルーレィDVDがいっぱいならんでいる。我が家では、カミさんの「大画面好き」から、一足先にデジタル対応の液晶テレビが家にある。

当然、機能を最大限に活かすため、放送は地元のケーブルTVを引きこんでいる。地上デジタル放送のほか、BSも各局+wowwowとケーブルテレビの各チャンネルが受信できる。最近、休日で家にいると、ほとんどTV映画漬の状態。

お気に入りのTVドラマは、韓国時代劇「朱蒙」「海神」「ホジュン」、FOXチャンネルの「Bones」「Dr.House」等など・・・。

先日5日間ほど、原因不明の下痢が続いた。家族には下痢をしている者はいない。食当たりを考えたが、怪しげなものは食べた記憶が無い。ついに一晩中トイレと寝室の往復が続き病院に出かけた。先生は血圧と体温を測り、あとは数分の問診。
 それで、薬を出してくれた。「おそらく、風邪か他の菌で、腸内で繁殖し腸炎に」薬は「整腸剤、消化剤、と抗生物質」もし、下痢がひどければ「下痢止め」と「痛みどめ」を服用するようにと、5日分いただいた。結果見事に完治。いかに経験とはいえ、すばらしい判断と感心してしまった。

先ほどの「ホジュン」にしろ「チャングム」にしろ、知識と問診・触診で、病名を突き止め、最適な投薬をして治療する。まさに時代の名医と言える。
「Dr.House」はチームの部下による徹底した検査と、その結果を元に消去法で原因を突き止める。私には詳細な検査と科学的に分析し、見落とした原因から元凶を突き止める手法の方が理解できるし正確とは思うが、問診だけで判断してしまう大胆さに「ホジュン」に通じる「町医者」の眼力の凄さを感じる。そういえば昔の医者は皆そうだった・・・。

支部総会の実施がいよいよあと20日ほどになった。皆さんと会えるのが楽しみだが、住所を調べると近所に10数名の同窓生が住んでいる。支部総会の後、夏休み頃にまた案内を回して近所でジンギスカンでもしようと思っている。

 

2008/05/11

休みの過ごし方

5月連休は、飛び石で休みをとった。
5月1日は、労働者の休日との事で、工場の整備もお休み。完全休日の日。骨休めにお気に入りの温泉をハシゴした。

 岡山県の 
奥津温泉/奥津荘の「鍵湯」は数年前に改装してから初めての入浴。足元からコンコンと湧き出る熱いお湯がお気に入りだったが、改装後は足元はセメントでふさがれ、壁からのお湯に変わり、温度もやや下がったような気がする。かつての「鍵湯」の魅力は半減。それでも湯量は豊富で、いっぱい汗をかいた。

 次の目的地への移動途中で、大釣温泉で山菜蕎麦を食べた。けっこううまかった。大釣では、渓谷にこいのぼりがはためいて、赤色が映えていた。鯉のぼりの向こうに、渓流沿いに般若寺温泉が見える。般若寺温泉は、岩の間からお湯が噴き出て、ぬるめのお湯だが、お気に入りの一つ。予約が必要で、貸切で入れる温泉。

次にお気に入りの、湯原温泉郷/真賀温泉へ行った。
足元の岩場から竹筒を通して噴き出るお湯は、無色透明・ぬるめのお湯で長湯ができる。長湯してると、体に小さな気泡がいっぱい付いて、いかにも体に良さそうという感じがする。
この日は貸し切り状態で、ゆったりさせてもらい、ついでにセルフタイマーで写真まで撮ってしまった。
(湯船は深く立った状態。噴き出るお湯が写ってます)

 最近、仕事はいっぱいあっても、休日出勤は1日だけで、孫の相手をする日が増えた。
約1歳半になると、毎日が成長の日々で、驚かされる。

庭先の花で遊ぶ姿(左)は、いかにも女の子。

かと思いきや、椅子によじ登るオテンバ姿(右)。
このあと、右手で椅子の先をつかんでぐいっと引きこみ、ついに自力で椅子にすわることが出来て、ご満悦でした。
「目に入れたら痛いが、うちの孫が一番かわいい」と、爺バカ・・・・
休日には、孫の散歩に付き合っているが、犬まで「一緒に連れて行け」と、甘え声を出している。

 

2008/04/20

春・大トラブル騒ぎ

隣に住む娘が、パソコンを購入。我が家のLANにつなぎたいとのことで、「ちょっとカジリ」の私は、とりあえず、無線LANが便利と、端末を購入し設定をするも、さっぱりつながらない。
数日たって、ひょっとして電波が弱い?と端末の位置を変更すれば、細々とつながった。悪戦苦闘(設定は正しかった)して、原因は電波状態の悪さにあった。
 ならば、と今度は、有線でつなごうと、屋外配線用のLANケーブルやら、埋設チューブやらを購入して、日曜日の朝からごそごそ・・・。カミさんの蔑視の目がつらい。

ようやく配線が終わって、さあテストと、昼過ぎから始めたが、さっぱりつながらない。メッセージは「回線が切断されている」と表示されたが、「配線は正しいと」と思いこみ、設定が悪い・・・といじくりまわして、LANケーブルをルータから外したのが裏目。ついに、今度は我が家のパソコンがインターネットにつながらなくなってしまった。あれやこれやで半日四苦八苦したが、ギブアップ。夕方に、カミさんの知り合いで、私専用(と思っている)お助けマンに電話してきてもらった。

数時間が過ぎたが一向に埒があかない。試行錯誤のすえ、彼のパソコンを持ち出し、設定・配線の確認。セキュリティ(ファイアウォール)で引っかかっていた事と、それをリセットするのに、大元のケーブルモデムの電源を入り切りが必要だったようだ。そんな操作(リセット)をして回復できた。(バンザーイ!! だけど、まるで なんじゃこりゃ!) 。
ようやく大元のパソコンがインターネットにつながるのを確認し、ほっと安堵。(これで、カミさんの苦情を聞かなくて済む・・・)

今度は娘のパソコンの設定。調べると、やっぱし「配線が死んでる」
「・・・・ここと違いますか?」と、くだんのお助けマンが、指摘。 怪しげな場所をすっ飛ばして接続してOK! 何のことはない、屋外で接続した部分に防水テープを巻きつけた時に、接続がゆるんだようだ。「福井さん、配線でしたね。」 原因は大したことがなくても、それを突き止めるのは大したもの。 お助けマンに感謝!! お土産に、「先日田舎から届いた毛ガニ」を持って帰っていただいた。

いやはや、この天気の良い日曜日、日がな一日パソコンに振り回され、気がつけば10時を回っていた。

 

2008/04/14

春うらら

久々の陽気にさそわれて、娘親子と犬の散歩。
娘は、子供の教材にテントウムシの幼虫を探し、孫はもらったばかりの三輪車に乗ってご機嫌。
「ぶーぶ」と言いながら、乗ってます。飽きると、「だっこ」。世話がやけると言いながら、ジジバカになっています。

娘は、草花・虫が大好きで、今回の散歩で大発見!と大騒ぎ。
最近めっきり数が少なくなったと思われていた、在来種の「タンポポ」の群生があちこちにあり、外来種が半分程度になっていた。

どちらが在来種なのか、2種類を比べてみてください。

                            

 

 

 


 

     正解は、左が在来種。
花べんの数がすくなく、ガク(?)の部分が花に沿っている。
一方外来種はゴージャスで、ガクの部分がめくれているのが特徴。

2008/04/06

ごくろうさん

地域 自治会の役員の仕事が終わった。任期2年。本日の総会で、次期にバトンタッチ。草刈と、葬式の役員から解放です。

春爛漫の、日。窓の外は桜が満開。

 気も晴れ晴れとして、自治会総会終わった後の懇親会で、酒を飲まされ夜になってようやく復活。
これで、ようやく本来の仕事に専念できる? と思うが・・・。

 役員手当(年間2万円)の2年分を使って、5月に解散旅行をする予定。場所は「能登・和倉温泉」。
 思えば、自治会内での葬儀には、香典5000円也(役員。一般は3000円)差額2000円×13組=26000円。これに草刈他の労働奉仕。
 計算すると、あわんなぁ・・・・が実感だが、ようやく古いしきたりの村に他所から来た私が認知されたと思うと、これもいいかとも思う。

 地域では、いろんなしがらみの中で生活する必要があって、まず認知されることが大切。

2008/04/05

さいた さいた さくらが さいた

春になると、桜が咲くのが当たり前のようだが、桜にはいろんな思い出がある。

<その1:うそっぱちの教科書>

小学校の入学式は私の記憶では4月1日。
「こくご」の教科書の最初のページには、「
さいた さいた さくらが さいた」と書いてあった。授業で大きな声で「さいた! さいた! さくらがさいた!」唱和する。
でも、そのころ窓の外には、1mほどの積雪があった。
こども心に 「さくらなんて、咲いてないのに、と変なことを書いてある」 と、疑問におもっていた。(どうもその頃から、ひねくれ坊主だったようで、これは今も変わらない・・・(^_^;)

<おまけ>6月頃の教科書には、「南のくにから ツバメがやってきます」と書いてあった。ツバメは20歳を過ぎて、この地に勤めてから初めて見ることができた。印象は「ちっこい鳥」 鳩ぐらいの鳥のイメージだった。

 

 

<その2:花見・遠足>

私の田舎から約3kmほどのところに桜の名所、「五鹿山(ごかざん)」がある。
毎年、5月15日頃が満開で、小学校の遠足には、高学年がここに行く。小学校からは、7~8kmほどの位置。握りめし・水筒の水と、駄菓子屋で買い求めた「おやつ」をもって出かける。道端で、いろんな花が咲いていた。

 

この頃は、ちょうど田植えの時期。温床で育てた苗を、稲ワラで一握りの束にするのが、私と母の仕事。父はしろかき、兄弟たち家族総出で田植えをする。田圃は1丁8反の広さがあって、やってもやっても終わらない・・・。遠足の日は暖かな記憶でいっぱいだが、田植えの思い出は冷たい風・・・。

 

田植えが終わって、家の南側、池のほとりに1本のエゾ山桜があって、その周りで、近所の人が集まって花見をしたこともあった。

 

 

<その3:明誠寮の洗礼>

明誠寮では、恒例の「春の大遠足」が寮の行事としてあって、カムイコタンまで、延々27km(と記憶している)を、朝早くから出掛ける。
寮生会の役員は自転車で、支援(?)してくれたが、「もうすぐ着く」と騙され続け、ようやく到着する。
到着すれば、満開の花の下で、ジンギスカンパーティが開かれる。このためには、1年坊主は、鍋・炭・肉と分担して、持たされる。辛くもあり、楽しくもあった思い出。

寮ではコンパと称して、アルコール抜きの、駄菓子とお茶で寮の部屋全員で、談話することもあった。(12人部屋でした)

写真:
 (上)姫路城の公園内にある枝垂れ桜(4月5日撮影)
 (中)天満大池公園の桜と、池の周りに咲く花(名前不詳)
 (下)森安広場の桜。20年前、村の子供達と一緒に植えた。(4月6日撮影)

2008/03/21

宮崎~鹿児島

またしても、九州旅行。

今回は、宮崎空港で降り、日南海岸--鵜戸神宮--日南での浜焼き定食--青島神社を経て霧島温泉で1泊。翌日は、知覧/武家屋敷---特攻記念館---指宿(砂蒸し温泉)---さつま味で昼食---鹿児島空港で試食三昧の例によって1泊2日の旅。

 ほとんどが2度目の訪問だが、今回は夫婦でリタイヤされた方と4名の旅行。
 今回の私の希望は、「温泉めぐり」。特に、砂蒸しは今回が2度目だが、背中からガンガンと温められ、上からはずっしりと重くて暑い砂で、凝り固まった筋肉をゆっくり解したかったが、時間がなく10分だけだったのが心残り。
 というのも、御同行のお二人と、移動のペースが合わなくて、思うように移動ができなかった事による・・・。お二人は、リタイヤされた直後で、時間を忘れたかったようだ。一方私は、休暇をとって、山ほどの仕事をほっぽり出しての旅行なので、せめて温泉にゆっくりつかるのが希望。間のペースが合わず、緩急がまるで逆のモードになった

 さらに、いつもと違ったのは、日-月の日程にも関わらず、やたらと人が多い。よく考えると、卒業旅行と称する若者の旅行者と、大型観光バスツアーの格安パックの団体さんが移動する時期。それに、中(台)・韓からの増え続ける旅行者。なんとなく様変わりを体感した旅行でした。

(写真は開聞岳と知覧/武家屋敷のネコ)

2008/03/05

新名神高速道路

久々に川崎重工の名古屋工場に出張。愛知県の西の外れ、ボーイング787の生産工場での打ち合わせ。

今回は電車ではなく、車で出かけた。
というのも、先日会社の者が、新名神が開通したので、3時間程度で行けると聞いたから。
従来は、新幹線で名古屋まで行き、そこから近鉄の急行でひと駅。蟹江で下車してタクシーで約4000円強の距離。朝6時45分ごろ家を出て、到着が9時半過ぎなので、3時間弱の距離。帰りのタクシー呼び出し時間を考えると、車と時間的には変わらない。
朝の渋滞を避けるのに、6時半頃に自宅を出発し、到着は9時半。まさに3時間ちょうど。便利になりました。

先日までの温かさはどこへやら。鈴鹿山脈は雪景色。途中休憩の新しいサービスエリアも雪で真白でした。(写真)

新名神から、亀山から、東名阪自動車道を経て、伊勢湾岸道路を走るのだが、相変わらず伊勢湾岸道路は走るのが怖い。横風が半端ではなく、桑名-長島-愛知県にかかる斜張橋の橋脚部分が風が渦巻いて、右へ左へ振られてしまう。デザイン重視の橋は、欠陥道路かも・・・

 

2008/02/19

沖縄に行ってきました

友人の浅井君が、沖縄勤務から旭川に戻ることになり、彼が沖縄在住の間に、沖縄体験をするべく例によって、突然の沖縄ということになりました。

連日の寒波のなか、神戸空港を飛び立ち一路那覇空港へ。便利になりました。予測通り、沖縄は暖かな場所でした。早朝の出発もあって、家を出るとき「パッチ(関西では股引のことをこうよびます)」を履いて出たのが裏目・・・・。最初は我慢していたのですが、昼飯を食った後はたまりません。だんだん気分が悪くなって、ついに公衆トイレで脱ぎ棄てました。

行きたい場所と尋ねられても、予備知識ゼロの私には、ちんぷんかんぷん。一応の観光コースは、また行くことができるはずなので、例によって「天の邪鬼」が横やりを入れ、「首里城」へ行くことになりました。感動したのは、石積みの素晴らしさ。復元されたとのことですが、その緻密さは特筆すべきものでした。
場内の案内は、いま一つでしたが、昔の衣装でそこここに立っていますが、その色づかいは素敵でした。最高の色が「黄色」で「紫」は低い方。仏教界では最高が「紫」ですが、なんとなく違和感がありました。秀麗なお嬢さんが頭に紫の鉢巻(?)をした民族衣装は、時代劇では「病気のお殿様」と同じもの・・・。でも「黄色」は、沖縄の明るさそのもののようで素敵な色です。
あとの希望は「サンゴ礁の海」。浅井君のお勧めで「基地巡り」と「コバルトブルーの海」「沖縄そば」と、カミさんの希望で「海軍の洞窟」---ひめゆりの塔は、観光バスで連れて行ってくれるから後回しになりました。

沖縄が、基地の島を実感しました。沖縄本島の半分が米軍関係で占有され、途中に寄った「北谷」では町の8割が米軍関係で占有されています。日本政府の「思いやり予算」で実現されている、米軍関係者の贅沢な生活環境は、ここは本当に日本か?と言わざるを得ません。

沖縄そばの店に入り、「沖縄そば」を食べました。昼の時間、席の回りは地元の老若男女が食事をしていましたが、その旺盛な食欲はただ圧倒されるばかり。聞けば、それが普通。カロリーの取りすぎですわ。それで、運動嫌いらしい。ほんま、メタボ予備軍ばかりに見えました。
でも、強烈な強火で料理したチャンプルーはうまかった。

夜は、国際通りのライブハウス?(居酒屋?)で、メジャーデビューを目指す「若者の三線を聴き」、「海ぶどうを賞味し」楽しい旅行でした。快晴ではなかったものの、ちょびっとだけ沖縄に触れ、日本最南端の「道の駅」で沖縄産の「タンカン」を味わい、シーサーを物色し、楽しい1泊旅行でした。

 「浅井さんに感謝」

2007/12/17

神戸ルミナリエ

存続が危ぶまれる神戸ルミナリエに行って来た。中学校の同窓生が神戸に来るというので、今年が最後かもしれないので、ぜひとお誘いした。

震災の年に始められたこの冬のイベント。まばゆい光のモニュメントを見てると、あのときの神戸をを思い出し、目頭があつくなった。いつまでも続けてほしい。

 

 

神戸が震災に合って 港が壊れ、家が倒壊し、火災で焼け出され壊滅的な打撃のなか、心の灯りをともそうと復興に思いを込め、はじめられた 神戸ルミナリエ。

 

経済的な負担が増え、廃止せざるを得ないという話があって、「今年が最後かもしれない」とささやかれ、また新たな気持ちで出かけた。

 

光が与えてくれた励ましに、また涙が出た。

 

2007/9/11

中学校の同窓会

3年前に約束した、中学校の同窓会が開催された。今回も4組合同で開催され、出席は40名ほど。盆明けの土曜日という事で、今回はフェリーで帰る事にした。行は、娘と二人。帰りは一人という相変わらずの変則で、今回も帰省。

フェリーはいつものように、舞鶴-小樽間の新日本海フェリーを利用した。最新鋭の高速フェリーは、従来30時間かかっていた航路を20時間に短縮。結果は悪い事ばかり。
(1)料金がアップ。(今まで年間一律だったものが、季節料金制がとられ、お盆の期間は最高値)
(2)楽しみが半減。(船の高速化で、風が強いため、舷側の通路はシャットアウト。従って、オープンデッキは後甲板1箇所のみ。レクレーションルームも設備が減り、ゲーム機程度) 
(3)到着時間が悪く、下船後は即宿泊するしかない(到着時刻は夜の9時。今までは朝の4時に到着するので、下船後は道内何処でもその日の目的地にする事が出来たが、21時着では、寝るしかない) 
そんな状況なので、ホテル代も加算し、安価がメリットの船旅も飛行機+レンタカーと大差なくなった。

今回の同窓会は、各組10人程度で、我B組は常連がほとんどで、さらに女性が2名とややさびしいものの、小学校から一緒の仲間も大勢いて、今回初参加のメンバーが中心で話が盛り上がる。気がつけば夜中の1時。さあ、3次会とラーメンを食いに出るものが半数。私は睡魔には勝てずダウン。一番の遠路は四国/中土佐町久礼からの参加。久々の帰省でたっぷり楽しんで帰ったらしい。大変なのは幹事さん。「俺幹事だったっけ?」という幹事もいて、同じクラスに当たった仲間は二人分の活躍。今回も、料理は減らず、最大のご馳走はみんなの顔。一気に15歳にタイムスリップしてしまう。
これが、同窓会の楽しさなんだと、実感する。

今年は札幌での全国総会がもうすぐ。前回の定山渓では、支部長の代理で参加させてもらったが、今年は仕事・自治会と9月は行事が目白押しで、参加できず。

3年後の西日本での総会は、我々5期が還暦の年。修学旅行の再現で、皆が集まってくれるのを期待している。

 翌日、兄弟と一緒に摩周湖に出かけた。体の弱い姉は、初めての快晴に大喜び。

久々に透き通った摩周湖に再開した。小学校の修学旅行が最初の摩周湖。写真にすると、どこかメリハリがない。よく見ると、摩周岳の火口は、昔赤茶けた焼けた火口の色だった。今は、そこに木が生え、緑の火口に変貌。ここでも、年を感じてしまった。

福井記

2007/7/25

旅行

昨年の仕事の後遺症?で、体のあちこちにガタが出始めました。自覚症状は、いわゆる「50肩」の症状、膝関節の痛み、目のかすみ、血糖(Hb-A1c)値の上昇・・・

療法は、整体と温泉。私には何より温泉が良いようだ。4月に孫を含めた5人で「川湯温泉」に行ってきた。ぴりぴりするほどの濃い硫黄泉。そのまま足を伸ばして、タンチョウにも会って来た。

先日は、九州「鹿児島/霧島温泉」集中豪雨と台風の合間の日を選んだような「雨の止み間」で、鹿児島市内(西郷さんの洞窟)・桜島/溶岩道路・宮崎/鵜戸神宮・そして霧島温泉。水害に遭われた皆様にはお見舞い申し上げます。
霧島は、天孫降臨の地であり、「浄化された結界」を感じさせる澄み切った空気を味わえる。そして、温泉。たっぷりとした湯量と泉質。「あ~、何日でも居たい」という気になる。限られて時間を濃厚にすごし、また仕事に励む

近所でお気に入りの「よい温泉:兵庫県」には、月に2度程度でかけて骨休めをする。

福井記

2007/1/2

新年のあいさつ

また新しい年があけました。

昨年は、人生で一番働いたとおもっている年で、同窓会活動も思うに任せず、皆さんにご迷惑をおかけしました。昨年秋には、京都での総会も無事終え、ほっとしています。
今年は、総会がお休みの年ですので、役員の充電期間です。

昨年はボーイング787の製造設備の一部を請け負って、新工場での飛行機組立設備の設計製作に明け暮れた一年でした。
今年は、すこし人間らしい生活が出来るように、程ほどの仕事量にしたいと思いますが、親会社の母体が(鋼製橋梁談合問題で)こけそうな状況では、
仕事のえりごのみが出来るほどの余裕は無く・・・。しかしながら、子会社に出向して2年が過ぎ、またモノ造りが出来る喜びを感じています。

年末から年始に予定されてた、「現場待機」要請も延期になり、なんとか自宅で正月を迎えることが出来ました。(これもカミさんの「徳」のたまものか・・・)

個人的には、娘の結婚と、孫の出産。一気に家族が増え、毎日賑やかな日々が続いています。年末に孫の「宮参り」なる行事を済ませ、爺婆の仕事は一段落。昨年の主役である、愛犬「ベン」は、主役を奪われたのを察知して、ますます自己主張が激しくなりました。(白菜大好きで、相変わらずお手は出来ません。)

福井記

2006/09/23

清明神社

 北海道から、姪がやってきた。

 「どこに行きたい?」と聞くと、「京都の清明神社」と答える。
 陰陽師で有名な、安部清明を奉った神社で、なんでも占いが当たると有名らしい。私は仕事なので、カミさんと娘が一緒に京都に出かけた。
帰ってきて我家は、大盛り上がり。なんでも、占いの方はカミさんに「アンタは1人身でしょう」と何度も言ったらしい。聞けば、カミさんの旦那(=私?)は20年ほど前に死んでいるらしい。
その私が何故生きているのか?

その理由は、カミさんが、無償の奉仕を続ける「徳」で、私が生かされているらしい。
確かに、叔母・叔父の末期の世話はカミさんがしたし・・・
そんなこんなで、これからも私は幸せらしい。おまけの占いによれば、その代償として、生涯働く運命らしい。

劇画の世界で言う、「おまえはもう死んでいる!」の状況のようで・・・したがって、この書き込みは、ひょっとして「私の幽霊」がしているのかもしれない。

明日も仕事をしないと、工程が追いつかない・・・

2006/08/29

通信環境回復

ホームページアップがおろそかになった理由・・・

 先日、サイトの引越しが終わってから、自宅のパソコンから、同窓会のサイトにアクセスが出来ず、モバイルでのPHSでしか対応できなくなっていた。
そんな状況では思うようなアップが出来ないので、ついつい面倒になってしまい、数ヶ月アッ プなしの状況になった。 m(__)m

 そんな状況が、昨日突然解消した。
本間先生から、電話で講演会の講演内容の連絡が入りその内容を記述して、記事をアップしようと、ダメモトで自宅のパソコンから接続すると、以前の快適な通信環境になっていた。
ついつい、嬉しくなって、気まぐれ日記を書く気になった。

まさに気まぐれ・・・・で、話題はとうもろこし。「となりのトトロでは、トウモコロシ?」

 本部掲示板に、取れたてのトウモロコシの書き込みがのっていた。先日帰省したときに、姉が取れたてのトウモロコシを出してくれ、それを味わってきた。(右の写真)
じつにうまかった。
 私の兄は湧別で農家をしているが、今ごろの時期になると、皮付きのまま、クール宅急便で送ってくれる。皮の処理は大変だが、近所の「グルメおばさん」達におすそ分けすると、すこぶる評判がいい。「
アンタんとこの、トウモロコシは一味違うワ。また頼むわナ」。お世辞半分としても、「お金払うから、送ってもらってくれる」と言うだけあって、兄のトウモロコシは確かに美味しい。きっと、オホーツクのミネラルをいっぱい浴びた気候のせいなんだろうと思う。

 

2006/08/18

夏の休暇

仕事の忙しさにかまけ、ホームページアップが思うようにしていないことを反省。

 親父の法要で、お盆に帰省した。娘たちが新婚旅行を兼ねてとついてきた。
 新日本海フェリーを使って、舞鶴-小樽間を移動。フェリーは船の速度が上がって、運行時間はおよそ20時間。以前は、舞鶴が23時30分発で、翌々日の4時頃に到着していた船が、0時45分発で、同じ日の21時小樽着。速すぎて、到着時間が夜。下船するなり宿を探す必要が出て逆に不便。高速化で、往復の船が2隻あれば、毎日運行が可能になる。
 出港時間を考えてもらえると、旅行者は助かるのだが・・・。たとえば出港を11時頃にすると、翌日の7時頃に到着なので、旅行者にとってもありがたいし、港での勤務者も、夜間勤務がなくなり助かるのではないだろうか?

 そんな事で、久々の休暇で兄弟たちと会ってきた。
 娘たちにとってはあいさつ回りを兼ね、さらに旅行費用も親父の懐があてに出来る。個人で北海道に来たことがない娘の旦那のために、ごくありきたりの観光コースめぐり。
小樽から札幌の姉の家を経由し、野幌の「コロポックル山荘」で、五十嵐さんのソバを賞味。土井さんも来て頂いて、ミニ同窓会。すっかり蕎麦屋のオヤジが板についた五十嵐さんは、お客相手に忙しそう。「リピーター」がメインになるので、味をキープするのが大変だと話をしていた。庭に生った「プラム=すもも」も振舞っていただき、店のテラスで夏の北海道と「辛み大根蕎麦」を賞味。大いに満足。

 その後は、美瑛の花畑と、澄んだ空気に感動!思いのほか強い日差しに、日焼けおじさんの出来上がり。のんびりゆっくりのドライブに、仕事を忘れリフレッシュできた。カーナビに目的地を美瑛に設定したら、最短コースの砂利道に案内してくれた。車はホコリで真っ白。思わず砂利道体験が出来たと、娘夫婦は大喜び。森林のマイナスイオンを吸収するはずが、窓を閉め切っての走行。

 14日の法要に日は、中学校の同級生と来年のクラス会の下打合せ。久々の思い出話で飲めないくせに、焼酎を4杯も飲んでしまって、翌日は二日酔い・・・。
 娘夫婦と姉夫婦6人での観光旅行は、網走監獄-美幌峠-屈斜路湖-摩周湖-硫黄山-川湯温泉泊。
摩周湖は、霧がひっきりなしに出たが、合間に湖面が見え、霧の摩周湖も堪能。(私は、第3展望台から見る、摩周湖の反対側、硫黄山と屈斜路湖の景色が大好き)
川湯では久々に濃い硫黄泉を堪能し、大満足。夜は盆踊りにも参加し、久々の北海盆歌で踊りも満足。翌日は阿寒から、オンネトーを廻って丸瀬布の「マウレ山荘」でさらに温泉堪能。

阿寒では、久々に遊覧船にのり、マリモに対面。巷でブームの「マリモッコリ」が土産物店の店頭に飾ってあったが、本物はやはり良い。なんでも、このマリモの生育地から、マリモが盗まれたとか。店頭にならぶ、養殖マリモの影響なのか、天然記念物に対する行為に、なんとも情けない話。一方で、わずか15分の見学時間に一生懸命メモを取っていた小学生に感動。(夏休みの宿題、自由研究なんだろう)。小学校の修学旅行コースを思い出した。
土産物店で、ムックリを購入し、店の親父さんにムックリの奏法の指導を受ける。素朴な対応に感動したカミさんは、山ほど(?)木彫りの土産を購入し、ここで聞いた店で「行者にんにく入りのスタミナラーメン」を食べ、うまかった。

丸瀬布の姉の家に泊まり、翌日は娘夫婦を旭川空港で降ろして、夫婦二人で南下。コロポックル山荘で蕎麦をいただこうと考えていたが、時間がおそく閉店。わざわざ店に戻ってくれた五十嵐さんと、しばし話しをしてから、札幌の姉の家に寄り晩飯をご馳走になる。船内で食べろと、山ほどのおにぎりとおかずをもらって、雨が降り始めた小樽に到着した。
久々に、メール通信が出来る環境になったので、メールチェックすると、仕事のメールが山ほど。(休暇は残り1日。土日は休日返上で仕事の処理をしなければ・・・)
個人宛のメールは迷惑メールが200通ほど来ていた。そろそろメールアドレスを変更の必要性を痛感。WEBにアドレスを公開するだけで、毎日100通近い迷惑メールがやってくる。

 

2006/03/12

引越し

ホームページの保存場所が変更になった。引越しは、管理者の土井さんが全部やってくれたので、楽チンだった。
しかし・・・、新しいサイトでのHPをアップするためににアクセスしようとすると、つながらない。以前も、同じ状況が発生し、順調にアクセスできるようになるのに1年程かかった。
どうも、私が契約しているプロバイダの回線と相性が悪いらしい。今回もそうだが、確実につながるのが、PHS(Air-H")を使った回線。結局 ちんたらとページアップする事になった。
(ちなみに、今回の内容を全部アップするのに5時間以上もかかった。 とほほ・・・状態である)

そんな事を理由に、メンテナンスをサボっているような気がしているが・・・・
現実は、休日無しの状況での仕事。
資本金5000万円の零細子会社で、親会社である、某大企業の業績不振部門の影響で、給与カットetcと冷遇されている。
しかし、モノづくりの最前線で働いていると、苦にならない。(これはworkaholicか?)

ただし、体は正直。先日久々に温泉に出かけた。体のあちこちにかかっていた、ブロックが解けて、それまで感じなかった疲労の自覚症状が出てきた。温泉の湯がよっぽど良かったらしい。以後、すこぶる体調が悪いので、近所の温泉に立て続けに通っている。ここ1週間で、4箇所の湯に浸かっている。すこーし回復してきた。

<お詫び>
サイトの変更で、以前のブックマークへアクセスしてもつながらない事がありますので、もう一度ブックマークを設定下さい。

 

2006/01/06

年賀状

今年も年賀状が沢山来た。回収率(?)は約70%。
年賀状は、年に一度ご無沙汰をしている人への挨拶だと思っている。会社を辞めても、貴方のことを覚えてますよという意思表示もこめて、今年は、定年退職された方へ多く出した。
また、来年予定の中学校のクラス会に備えてかつてのクラスメートに全員出した。これは、当然再会を期待してますという意思表示と、宛先不明で返送されるかどうかで、住所の確認のためも含めている。帰って来た年賀状は未だ無いので、ちゃんと届いているようだ。

頂戴した年賀状は、家族全員が楽しみにしている。今年は戌年で、それぞれが「我が家の愛犬」のコメントやら、写真付き(私もその一人)で作られた年賀状が多かった。
その中で、注目のしたのが西日本支部役員からの年賀状。なんと我が家の愛犬と瓜二つの犬の写真。どうも雌犬のようなので、いずれお見合いをさせてあげたいと娘達も大騒ぎ。

50を過ぎたら、折り返しだから、ひとつづつ若返るのと、同級生からのコメントもあった。なるほど思いつつ、成人式までには、まだしばらくかかると、指折り数えてみる私。

短いコメントに、1年分の人生やら、思いが込められていて、それだけで楽しい。
年末になると、早く出さなければというプレッシャーを感じるが、もらうととてもうれしい。だからダイレクトメールはほとんどゴミ箱直行だが、年賀状は捨てられない。

今年ももらった年賀状の宛名を1件づつ確認し、住所録ソフトのデータベースを更新している。かつて、宛名書きの担当はカミさんだったけど、随分楽になった。

 

2006/01/03

戌年の正月

年末の天気予報では、元日から2日は曇りから雨模様で、天気の回復は3日からとなっていたが、今年の元日は、例年に無いぽかぽか陽気。

我が家の大晦日は、年末の紅白歌合戦の結果を見たら、カウントダウンコンサートをはらはらしながら見る。今回は何時も一緒に見ている娘たちは居ない。長女は夜になってから、明石海峡大橋で友達と一緒に見ると言って出かけ、次女は東京暮らしで、老人介護の職場で夜勤。気が付いたら、またカミさんと2人になっていた。思えば、二人だけの年越しは、新婚の年末だけで、そのときは長女がお腹に入っていた。(30年振りか・・・)
この日の演目「第九」の演奏はドンピシャで終了し、指揮者が大はしゃぎしていた。
カミさんと新年の挨拶をして、床に着く。

<元旦>
早朝6時に犬をつれて、初詣に出かけ、そのまま大池公園を一周りして帰宅し、雑煮を作る。
家族3人での食事と、年賀状を見るのが元日の楽しみ。

元日には、庭でバーベキューコンロを引っ張り出し、「焼き蟹」と「焼きイカ」を堪能した。いつもの兄弟家族との「すき焼き」も加えて夕方までの宴会。久々の酒盛りについつい飲みすぎるので、悪酔い防止にはこれが良いと、「陀羅尼助丸」を振舞う。今年の正月は「幻の酒」と「新聞の酒」で日本酒の飲み比べ。年末で会社を退職したカミさんの退職祝(?)、ポリープの除去で入院していた(年上の)義弟の快気祝い(?)で大いに盛り上がった。

次女は、元日の夕方に帰省して、3日の早朝の便で東京に戻った。帰ってきている間、愛犬とじゃれあっていた。手のひらに乗るサイズだった犬は、18kgにもなり、久々の再会に喜んで娘を押さえ込み、顔をなめ回す姿は、まるで強姦されているよう。
空港まで送って行く車に犬も乗せ、走行の間中、また犬を相手に大騒ぎ。空港で分かれるときは、犬が別れを惜しんでいた。

 

2006/01/01

新年あけましておめでとうございます

今年は、西日本支部で本部総会が開催されます。

皆さんが語り合える機会を提供したいと考えています。

9月16日(土)の午後 京都までおこし下さい。

 

 今年は、企業の中核戦士として旭川高専を巣立った、大先輩の1期卒業生が還暦をお迎えになります。多くの企業は、60歳で定年退職となり、先輩諸氏も第一線から退かれる状況にあります。高専という存在を社会に認識させた功績は多大なものがあると思っています。ありがとうございました。
 このHPを、先輩からのお話を聞かせていただく場所に活用いただけたらと思っています。なかなか思うようなページ作りは出来ませんが、より充実した同窓会活動の一助になることを願っています。

2006年元旦 05M 福井 勇(HP管理者)

2005/11/13

加古川ツーデーマーチ(11/12-13)

 

 毎年恒例の加古川ツーデーマーチが今年も開催された。

普段歩くわけではないが、この大会だけは毎年参加している。よく見たら、この記事も3年目になる。

 完歩すれば、今年で8回目(だと思う)。昨年からわが町もコースに入ったが、なにせ40kmコースだけ。ぐうたらな私にはとても歩けない。

今年は、何とか1日目をクリアしたが、すねとふくらはぎが悲鳴をあげた。帰りに車を運転したら、右足が攣りっぱなしで、思うようにアクセルとブレーキが踏めない。途中のコンビにに車を停め、ストレッチをし、ようやく帰宅した後は、入浴で冷水とお湯を交互につけようやく足がほぐれた。

 明日も20km 晴れたらいいねっ。

 

 2日目(13日) 今日も晴れ

 昨日の疲れは残るものの、完歩後の養生が効を奏して、本日も無事完歩。

途中、昨年と同じ場所に咲く花やら、パラグライダーを楽しむ人やら、凧揚げ大会があったりで、今年も楽しませてくれた。今日のお目当ては、舛田のかかしとぜんざい。毎年ここの町内あげて楽しませてくれる。また来年も歩くんだろうな。

2005/11/06

京都御所(11/5)

 

わが町の町花コスモスも、ピークを過ぎた。村の田んぼに麦が終わってから種をまいたコスモスが、そこかしこで咲いている。我が家の周囲もコスモス畑が点在している。

 

仕事は相変わらず忙しい。しかし、あれやこれややりたい事たくさん。


うちのカミさんは、最近小旅行、それも格安で美味しい料理が期待でき、しかもゆっくり観光が出来るという欲張りなプランを探すのにハマっている。わたしはそのオコボレで、金魚のフン。

 

先日も、京都御所の一般公開で、普段公開されない、皇后の御常御殿が公開されるというので、娘と3人で出かけた。京都御所は初めての見学。(TOPページも御所の写真を入れてみた)

 

その造りの壮大さに圧倒された。一般公開という事で、ほとんどの戸(障子など)は開け放たれているのだが、写真にとると、何故か違和感がある。見慣れないのだ。どこにそれが?とずっと考えていたら、白壁の広さに気が付いた。通常、社寺仏閣は戸の上はすぐ軒がくるのだが、ここは、戸の上に、およそ戸の七部目からその高さに匹敵するほどの高さで白壁がある。

 

漆喰の白と木の黒、目に鮮やかな朱そして、襖絵の金。なんとも鮮やかな風景。

それは、屋根の上にも輝いていた。なんともきらびやかな屋根瓦。16弁の菊の紋章が威厳を放っていた。桧皮葺の屋根は重厚な落ち着きがあり、きらびやかな屋根瓦とマッチしている。

 

京都はあと2週間もすれば、そこかしこの紅葉が身ごろになる。寺院のライトアップあって夜の京都もお勧めだ。

 

 今度の週末は、加古川ツーデーマーチが開催される。今年も参加を申し込んだが、果たして歩く事が出来るやら・・・(突発の仕事が無ければ良いが・・・)

 

2005/11/06

小豆島(10/23-24)

 

北海道に住む姉夫婦が、やってきた。今回は鹿児島-大分をもくろんだが、あいにく義兄が旅行計画の1ヶ月ほど前に入院するはめになり、ようやく退院できた。九州はあきらめ、近場の観光地という事で、例によってカミさんの小旅行検索の結果、「小豆島」を選択した。オリーブと素麺と醤油の島。そして二十四の瞳の舞台。

 今は、映画のオープンセットが観光地になり、場内の映画館では、終日「二十四の瞳」が上映されている。岬の分教場と映画のセットの分教場を見比べてしまう。さすがに、本物は使い古されているが、セットの校舎もなかなか風情があった。映画のなかでは、新しさはあまり感じられず、さすがにプロの撮る画像と関心してしまう。近くには、マルキン醤油の工場もあって、見学が出来る。売店で醤油アイスを販売していたので、賞味してみたが結構うまかった♪

 

夜は、小豆島国際ホテルに宿泊。ホテルの前の島が干潮時に陸続きになるという、エンジェルロードが有名で、風化した花崗岩の島に行く事が出来る。

 

翌日の朝、このエンジェルロードを散歩すると、岩の間の孔から朝日が上っていた。

この日は、前日の雨模様から一変して、お日様がいっぱいの一日になった。

 

陽光で輝く瀬戸の海を、小豆島からフェリーで高松に渡り、製麺所で本場の讃岐うどんを賞味した。

これもうまかった。

麺は太麺と細麺の二種類で、冷と温。あとは好みで具(トッピング)を選択する。1杯2~300円で楽しめる。

我が家の大喰い娘は、友達と車でやってきて、1度に4~5軒ほど廻るらしい。

 

その後は、五色台で、瀬戸大橋を岡の上から眺め、徳島で移動して、阿波踊り会館に行って、姉と体験阿波踊り。結構楽しんでもらえた。

退院後の兄は、「流動食」と称して、日本酒をうれしそうに飲んでいた。

 

さすがに、週始め2日を休むわけにもいかず、翌火曜日は、カミさんに姉夫婦を空港まで送ってもらった。今ごろは思い出話で、また「流動食」を味わっているに違いない。

 

2005/10/10

休日(10/8-10)

 

久々に、連休を満喫。

 

連休初日に、東京に住んでいる娘が彼と一緒に帰ってきた。航空会社のマイルが溜まったので、娘はタダで、彼は「お供でマイル」とかいうサービスで往復2万円で東京-大阪間を移動できるらしい。

出迎えはカミさんの運転で、私と凶暴な生後7ヶ月の黒い毛玉は後部座席。前の犬は車が大嫌いなのに、こやつは車が大好き。車の中でもじっとしていない。ようやく空港に着いて、カミさんが到着口に迎えに行っている間が大変。駐車禁止の監視の警察官が近寄って来て、手にはチョーク。小心者の私としては、犬をなだめすかして、車をちょっと移動。

 

ようやく娘たちが来ると、毛玉はうれしさで大パニック。うれしさ余って娘に頭突き。娘の前歯は脱臼。苦しむ娘と、犬に好かれた彼。彼は帰る時まで、顔をなめられていた。

 

歯医者に行く前に、彼が初めてだと言うので、明石海峡大橋を渡って、淡路のサービスエリアまでドライブ。内弁慶の毛玉は廻りに愛嬌を振りまき、「可愛いねー」「ハスキーですか?」「いいえ、母親は豆柴ですが、父親は不明の不倫の子です」「・・・
朝 久々にシャンプーをしたときに、体重を

を計ったら16.5kg(生後7ヶ月)だった。

 

夜は、長女も合流して、娘がアルバイトしていた居酒屋(小料理屋?)で夕食。
久しぶりだといいながら、下の娘は日本酒をグイグイ。「お金を気にせず外食したい」という娘の我儘を聞き入れる、馬鹿親は、またボーナス無しの生活が待っている。
---しかし・・・この酒飲みは俺の遺伝子ではない・・・(~_~;)。

 

その夜は、娘の彼に、明日は草刈をするから、早起きしろと言って寝た。

 

翌日は、ここ数ヶ月気になっていた排水溝の周りの草刈と、おばあさんの田んぼの草刈をした(放置するとゴミを捨てるやからがいるので、何も作っていなくても定期的に草刈が必要なのです)。
ほぼ終了した頃、娘と彼と、犬がやってきたから、彼に下刈機を彼に預けたが、いかにもへっぴり腰。私と一緒(?)で、ペンより重いものは持った事が無いようだ。


草刈も終わって、朝食。祭りで作ったからと、近所の人に頂戴した「さば寿司※」と、野菜カレーがテーブルに。デザートは娘の彼が土産に持ってきたとらやの羊羹。

 (※この辺では、祭りになると「さば寿司」と「太巻き」を作る習慣があります)


朝食も終わると、娘たちは祭りへ。長女は職場の近くで開催される、他のイベントに借り出され、私はその運転手。

普段、出かけない妻も、去年の当番の年から祭りにハマっている近所の奥さんに誘われ、祭りの会場へ。
取り残された私は、HPのメンテナンス。
やがて、長女からお迎えお願いコールが来て、2時過ぎに長女と祭りの会場へ。娘と歩くのも久々。

 

到着した頃には、神輿を池に放り込むイベントも後半になり(今年は3回×3度合計9回も池に入れたとの事)、寒さで唇真っ青の青年も・・・。しかし、「ヨーイヤサー」の掛け声でさし上げる若者たちの勇姿に思わず拍手!!

 

夜は、娘たち2カップルと一緒に、温泉に行って来た。車で1時間、いつもの「よい温泉」。人数が6人になったので、長女の彼のミニバンを長女が運転。(彼は、祭りの応援で、飲んでいた)。娘の運転する車に、しらふで乗る無謀さを思い知る(?)

 

風呂上りは、隣のレストラン(?)で、夕食。久々に風呂上りの冷えた生ビールを飲んだら、酔っ払ってしまった。このレストランは、結構美味しいものが食べられ、料金も安い。

 

自宅に帰ってから、また飲み直し。会話の中で、次女の彼が「ホ-ミー」をやってみたいと言い出した。私が、我流だが いつも風呂の中でホ-ミーの練習をしているのを話していたらしい。

その発声方法は、アイヌの民族楽器 「ムックリ」と同じように、口腔で共鳴させて別な音を大きくさせる事を教えようと、以前に白老の土産物屋で購入したムックリを取り出して、鳴らしてみせた。
娘たちも含めて、案外にムックリの音が出ない。一晩ムックリの練習会場になってしまった。(ホーミ-は会話の中からどこかへ・・・)

 

次回、北海道へ帰省したときは、大量にムックリを購入しなければ・・・・

 

いずれ、この人数に子供が増えることをを思い、一人幸せな時間を感じていた。

 

2005/10/09

秋祭り

 

今年も、秋祭りのシーズンがやってきた。播州路の浜手(高砂から姫路にかけて)は、この時のために一年働くといった雰囲気がある。巷では、「盆正月には帰らないが、祭りには帰ってくる」、「祭りの日に仕事をしていたら、村八分に合う」といった話を聞く。10月には、どこかしこで、祭りが行われ、ローカルのテレビ局(サンテレビ)は、祭り特集を組み、何度も放映する。
何といっても灘のけんか祭りと呼ばれる姫路白浜・松原八幡神社が最も有名だが、私の住む村にある、「天満神社」では、池に神輿を放り込むのが、最大のイベントになる。

 

昨年は、私の住む部落が祭り当番にあたり、近所の人は昨年の興奮を呼びおこし、今年も出かけていた。

 

東京から娘が久しぶりに帰宅したので、家族で天満神社まで出かけた。池に神輿を放り込み、池の中で16人方と呼ばれる担ぎ手が、「ヨーイヤサー」の掛け声で、練り・神輿を差し上げると、周りから拍手が巻き起こる。

 

道では、町花「コスモス」が咲き始め、稲の収穫も早生種はすでに終わり、周りの田んぼでも大半が稲刈りを終えている。

 

2005/09/27

珍客

 

我が家に、青い目の客がやってきた。カミさんの職場の取引先の知り合いで、スロバキアでエンジニアをしている28歳の青年。外国とは縁の無い生活をしている我が家にとっては、まさに珍客の来訪である。

 

 同窓会から帰ると、カミさんが、28歳の若者が我が家にやってくることになったが、きっと私が気にいるはずだと言い出した。聞けば、同窓会で留守をしているときに京都を案内したらしい。そう聞いて、勝手に胸の膨らんだ青い目のお嬢さんを想像していたら、190センチを越えるような背丈はあるが、人のよさそうな男。半分がっかりしたが、なんとなく安心。

 聞けば、大学院を卒業し、HP社の拠点がスロバキアにあって、各企業へコンピュータシステム導入関係のエンジニアをしているとか。大学では、構造関係の概論で、明石海峡大橋を学んだので、ぜひ見てみたいと言う。・・と聞くと心が躍る私は、さっそく明石海峡大橋の架設に関わるパンフレットを会社からかきあつめて、翌日は明石海峡大橋と大鳴門橋を渡ることにした。

 

この際だから、我社(の親会社)は、バイクだけではなく、総合重工業であって。ユーロトンネルのトンネル掘進機も私のいる工場で製造した事とか、私自身が、明石海峡大橋の塔架設の技術検討に参画したこと、種子島のロケット組立棟の大扉はギネスブックに登録され、その機械装置の設計をした事などなど・・・いっぱい自己宣伝しておいた。(これもプレゼンテーションの一つ?)

 

鳴門では、鯛料理と日本酒、徳島での阿波踊り体験(阿波踊り会館での体験踊り)を振舞った。結構楽しんで、「ちゃんか♪ちゃんか♪・・・」と「よしこの」の音ににすっかりはまっていた。
本人は、飛行機も初めて、海も初めて、というので、海水浴場の海岸で、海水をなめさせ、塩味の水を味あわせた。淡路からの帰りには、「たこフェリー」で、明石海峡大橋の下を通ると 大感動していた。物事を、素直に喜ぶ感性は日本人が忘れている文化なのかもしれない。

 

 さらに翌日は、娘が主に相手をし、「習字」・「お茶」・「稲刈り見学」・「盆栽見学」・「植物採取」などなど・・・

お互い、怪しげな英語(スロバキアではスロバキア語が主で、英語は苦手)で、どうやら意志が通じたようだ。さしずめ、私も娘も「英会話」ではなく「絵会話」による筆談がほとんど。

 

おかげで、電子辞書の使い方もかなり上達し、ちょっびり外国人とのカンバセーションがへたくそでも、コミュニケーションが出来る事を実感した。

変な外人は「納豆」OK、「たこやき」ノーサンキュー、箸の使い方は1週間で結構上手に使っていた。京都で仕入れた「侍」の帽子が気に入っていた。

 

我が家に出入りするのは、変人が多いが、カミさんの妹のダンナは、播州弁オンリーで、祭り大好きなオッサンだが、すっかり意気投合したようだ、別れの挨拶は「ホナなー(播州弁でそれじゃあねのような意味)」と覚えたらしい。(さよならよりもいい易いかも)

 

次は5年後?今度は奥さん(現在妊娠中)と子供を連れて来るように言うと、素直にOKと返事があったようだ。(私は仕事で、娘とカミさんが対応)

 

ほな また次の機会に----

 

2005/9/20

小学校時代の恩師に再会(9月16日)

 

同窓会に参加するので、その前日に旭川入りし、レンタカーを借りて、小学校時代の恩師に会うべく田舎までドライブをした。

 

道内入りする当日まで、深夜勤務+日勤という、1週間連続で睡眠時間約3時間という睡眠不足状態での運転は結構ハードでした。

 

紋別で、小学校時代の恩師に44年(?)ぶりにお会いして、先生ご夫妻と食事をしてきた。

 

今の仕事を選んだきっかけがこの先生だったような気がする。休日には仲間を連れ立って、先生の家に遊びに行く。そこで出会ったのが「子供の科学」という雑誌と、先生が廃品をかき集めて再生させた装置(しかけ)の数々。当時坊主頭の少年に、科学に興味を沸かせたきっかけの部屋だった。

 

思い出話を懐かしみ、我母校からの転籍後、先生の半生をお聞きし、戦後間もない頃の手探り教育の苦労話、人との出会い、病気との闘い、子供への影響の怖さなど・・・、管理職試験を拒否し、「生涯現役」で通した先生の熱い思いに感動したひと時だった。現在は糖尿病で、視力の低下があって、夜の運転が怖いとおっしゃっていたので、あまり暗くならないうちに、お別れした。

 

その夜は、ぬるぬるの温泉に浸かって、ぐっすり休む事が出来たものの、夜中に起きだす生活パターンの後遺症で、その日も夜中に目がさめてしまう。

無理やり寝ることにしたものの、お日様が昇る頃には・・・これもいつもの時間に目がさめた。

おかげで、ホテルの窓から見えるオホーツク海の朝焼けも見ることが出来、早起きは三文の得を実感。

朝風呂に入り朝食のバイキングで筋子(イクラではなく、程よく漬かった筋子です)でたらふく食事をし、ホテルの案内にあった、「まがり天ぷら」で有名な店へ行き、カミさんへの土産に天ぷらを購入する事にした。

 

2005/ 9/ 2

一日は24時間

 

先日某TV局が毎年している24時間TVという番組があったが、59歳のお年で100km完走された事は、まさに感動と賞賛ものです。長距離を走った経験は無いが、長距離を歩くと、体に障害が出てくる。まずはマメ、これがいちばんやっかい。痛みを伴うので、カバーするように姿勢が悪くなる。そうすると、筋肉への負担が偏り、筋肉痛、関節痛に発展する。単純に100kmを24時間で割ると、時速4km強で完歩出来る。でもそれが出来ないのが長距離・・・。丸山弁護士ほんとにご苦労さまでした。

 

ところで、先日来現地に収めた製品の最終調整が始まり、その作業が深夜0時半から4時の間に限定される。その業務を1週間に2度もしたが、月曜日の出来事が週末の今日では1ヶ月ほど前のような気がする。

 

この週の行動は

8/29(月) AM:工場勤務 PM:西宮出張 そのまま千葉県に移動し懇親会
ホテルで就寝

8/30(火) AM:千葉の事業所で打合せ PM:移動19時帰宅/食事・仮眠1時間 現場に移動

8/31(水) 0時過ぎから4時まで現場作業対応 帰宅・シャワー・仮眠2時間
AM出社 社内の月末定例会議2件 出張のデータ整理 22時就寝

9/1(木) 月末処理で奔走 PM:見積案件打合せ 19時半帰宅・食事・シャワー・仮眠1時間
「チャングムの誓い」を見てから現場に移動到着23:40分

9/2(金) 0時過ぎから4時まで現場作業対応 帰宅・シャワー・仮眠1時間
AM出社 出張のデータ整理 PM:見積案件の処理・・・ 19時退社 22時就寝

 

今日あたり一気に疲れが出そうだが、まだ大丈夫。どうも体の感覚は睡眠の間隔で日にちがカウントされるようだ。仮眠の回数で日数が増えたような気がする。仕事のボリュームは、まさに1日は24時間を実感できる内容でした。

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<続き>第2弾--まーよく続くもんです(過労死するかも---と言ってるうちは大丈夫?)

9/10(土) 朝5時に現場から電話が入り、6時半現場入り--22時帰宅

9/11(日) 前日のデータ整理と打合せで、工場出勤

9/12(月) 昼工場出勤 仮眠2時間 深夜現地勤務

9/13(火) 仮眠1.5時間 8時30分出勤 仮眠2時間 深夜現地勤務

9/14(水) 仮眠1.5時間 8時30分出勤 仮眠2時間 深夜現地勤務

9/15(木) 仮眠1.5時間 8時30分出勤 仮眠2時間 深夜現地勤務

9/16(金) 3時完了 関空へ移動 仮眠3時間 旭川着--紋別移動(泊)

9/17(土) 移動(眠たい)-同窓会出席-2次会・3次会・4次会--就寝翌日2時

9/18(日) 7時起床-11時20分旭川発-関空着-帰宅16時--ルディと夕食 帰宅23時

9/19(月) 8時出勤(出勤日)

 

2005/ 8/28

身近な温泉

 

家族で有馬温泉に出かけた。家から40分。1泊するとべらぼうな料金なので、いつも昼食と風呂がセットになったのを狙う。結構サービスも良く、割安感がある。

本日は一番古くから営んでいる大手のホテルで、炭火焼懐石がお目当て。

風呂は、金泉はまあまあ、銀泉はカルキ臭がして、やっぱりと思ってしまう。大型ホテルの大浴場は、使用する湯の量も半端じゃないので、一部循環がほとんどだからやむをえないのだろうが、やはりがっかりする。源泉掛け流しでないとね・・・。

 

しかし、食事は大満足。素材も、調理も絶品。造り、焼肉、イカ・こんにゃく・・・・ご飯が最高にうまかった。

 

お気に入りは、「足湯喫茶」屋外の大屋根の下に足湯があって、そこで喫茶が出来るというもの。なかなか、いいもんです。

2005/ 8/24

地蔵盆様変わり

 

毎年、8月23日と24日は、村々の地蔵堂で、子ども達の無病息災を願って地蔵盆の催しが行われる。今年は、我が家が当番の年で、家族でその対応をした。

23日の夜には、念仏講。翌24日の朝には、早朝から近所の子ども達がお参りにやってくる。

そのとき、地蔵へのお供えが子ども達に振舞われる。お供えは、近所の各家から駄菓子でされる。それも煎餅が定番で、ゴマ・しょうが・ピーナッツ等、1斗缶に入った物が供えられていた。
ここ数年は、パックされたポテトチップ等のスナック菓子が定番で、最近は、「地蔵盆用」として、専用で売られている。子ども達の食生活がうんぬんされているなかで、「昔ながらの煎餅がいいよな・・・」と、お参りにきた知り合いの昔話を聞くことに・・・・。

 

早朝から友達同士で自転車で地蔵めぐりをするのが普通だったが、今回の大半は親が子ども達を自動車に乗せ廻っていた。教員をしている娘の話では、事前に地蔵マップやら、サービスの良い村などを事前に調査し、効率の良い廻り方を検討していたらしい。親の過保護というよりは、過干渉だと、嘆いていた。(思わず同感!)

子供の相手は、娘に任せたが、「地域による、社会教育の場だ」などといいながら、「お参りのしかた」やら、お供えの駄菓子をもらう時「ありがとう」を言わない子供に、「ありがとう」を督促し、「他へ行ったら、ちゃんとありがとう言うんだよ」としっかりしつけていた。

 

地蔵盆本来の姿は、子供は村の共有の宝であり、村が一丸で育てていた時代背景があったはず。と思いながら、5時頃から地蔵めぐりの子供+親の団体で、7時頃にはお供えも底をついたので、後片付けをした。その頃現れた子供には気の毒な事をしたと思うが、これが「1斗缶に入った煎餅」なら、余裕も調整も出来るのに・・・とも思いつつ、早々に片付けが出来る「スナック菓子」に半分感謝!

 

2005/ 8/20

休暇返上??

7月1日から職場が変わったので、ある程度覚悟はしていたものの、「設備・メンテナンス部」というところは休みが無いというのを実体験。
本来ぐうたらな私には丁度良いのかもしれない。

 

7月には、電力休暇と称して、電力会社の要請で、親会社が休止に入る(サマーピーク電力を削減するため、大口の需要家が対応するらしい)。
完全停電日以外の日は、新しい工場の据付・調整がピークで、工場設備のメンテナンス業務もピークになる。この時期は下請けのメーカーも総動員をかけるが、当方の人員もピークになる。問題は不足部品が出たとき。取引先の工場も我々親会社の休みに合わせて、休暇に入る。携帯で社長をつかまえて部品調達をお願いする。この時期の仕事の量だけは不景気とは別物らしい。最新の電車を製造するラインの立ち上げで、担当者は、休みなしの連日深夜まで対応。我部下ながら頭が下がる。

 

今回は、お盆休みの8月15日の全休以外は、勤務地工場設備の更新工事を実施。
安全管理にも、親会社のトップから指令が出て無災害達成のための、安全管理体制をとる。---だったらエアコンくらい稼動させて欲しい----といいながら、汗みずくで工場の事務所にへばりつく。おかげで、だいぶ仕事が出来たが、反動で帰宅後クーラーのあたり過ぎで体調がいまいち・・・。それにしても見積期間が少ない。

 

今日はぐうたらの一日だったが、駒大苫小牧高校が高校野球で夏連覇という快挙に一人盛り上がる。8月13日からの連休も明日21日で終わる。

 

夜には、コオロギも鳴き始め、もう秋の気配がそこまで・・・。
子ども達はこれから夏休みの宿題への対応で追われるのかな?

 

2005/ 8/13

巨大化する豆(?)柴

我が家に、新しいペットが来たのが、4月末。生後2ヶ月弱の可愛いサイズが、今(5ヶ月半)身長は来た時の3倍ほどに成長した。母親は「豆柴」で、大きくならない犬のはずが、今は母親サイズをとうに追い越している。
先日動物病院にフィラリア予防の薬をもらいに行ったら、「まだ大きくなりますよ」と、言われた。(~_~;)
一体こいつの父親はどんなやつだ? (ひょっとしてハスキー??) 

4/24 2ヶ月弱

7/3 4ヶ月

8/13 5ヶ月半

<散歩は大変>
性格はまだまだ子犬だが、図体は成犬・・・。とにかく動くものは何でも飛びつく。
最近、散歩中に奴が口にしたものは、「目の前に飛んできた蝉(撃墜)」「道端でのたれ死んだ蝉」「みみず」「捨てられた空缶」「道端の草」「ぶいぶい」「アマガエル」「へび」「ちいさいコオロギ」「蹴飛ばした石ころ」・・・しかし、いまだにマーキングを覚えない

週に一度はシャンプーし、そのときには家に上げてやる。
狂ったようにはしゃぎまわり、家の中は戦場状態。

今日は、アイスクリームの残りをやったら、容器までクチャクチャにしていた。ハーゲンダッツは好物らしい。

 

2005/ 8/ 8

温泉三昧

 

 仕事の合間をぬって(というよりは無理やり)あちこちの温泉に出かけている。7月はまたしても九州。1泊2日の日程がいつものパターン。
今回は大分から、阿蘇を抜けて別府に泊まるコース。
1日目は阿蘇中心。2日目は、臼杵石仏で磨崖仏を見学。ボランティアの解説によれば、これを作った歴史の記録が無く、歴史家が、あれこれ分析し研究しているらしい。解説を聞きながら、建立させた時代背景やら、を自分勝手に想像しながら、物語をつくるのも楽しそう。
今回の温泉めぐりで入った風呂は、1日目の「黒川温泉」「別府温泉/竹瓦温泉」、2日目は「地の池地獄の足湯」「別府温泉保養ランドの泥温泉」「明礬温泉/湯の里」「鉄輪温泉のホテル」。
別府は湯量・泉質ともほんとに飽きない。踏破するには何年かかるやら・・・・。


しかし、今回は何といっても、阿蘇の火口に大感動。そのスケールは、まさに、地球が生きているというのを実感できる。一度は言ってみるべきだと思う。

 

数日おいて、京都は嵐山温泉。近所の温泉仲間と出かけた。これも結構風情があって、なかなか良いところ。
一度ここでの役員会開催も良いかも。

 

 先日は、娘の知り合いと我ら夫婦で、淡路から鳴門に渡って、「鯛料理+温泉」。 ついでに入った温泉だが、とにかく見鳴らしがいい。屋上の露天風呂は、眼下に海水浴場があり、下から仰ぎ見ればオッサンの「フルチン」が拝めるロケーション。なんとも爽快な気分になる。
 お湯の質が物足りなかったので、淡路に渡り、「南淡路ロイヤルホテル」の風呂に入った。このホテルは、台湾からの医師がサーズ騒ぎをおこした事で一躍有名に。ホテルの解説によれば、ここのお湯は、道後温泉の湯に匹敵すると言われている湯で、私のお気に入り温泉のひとつ。

 

よく考えるとこの前日に、会社の懇親会で、「有馬温泉」にも入っていた。

 

1週間後の昨日は、いつもお気に入りの 兵庫県宍粟市にある「よい温泉」。ラドンの含有量が県下一で、掛け流しの湯。ちょっぴり甘い温泉で自宅から1時間ほどで行ける。帰り道で、加古川の花火大会が催され、至近距離での花火見物をしながら帰ってきた。

 

ここ3週間程で、随分いろんな温泉に入った。また九州に行きたいと思っている。

 

2005/ 7/24

転職?

7月1日から職場が変わった。

営業・技術という中途半端な部門から。「設備・メンテナンス部」というところへ。

理由は、親会社を含む人員削減の影響。新しい部署の管理者が2名不在になり、実際の物作りと、メンテナンスの最前線。設備とは工場の製造設備で、メンテンナスは親会社が製作した水門・コンテナクレーンの保守点検を主業務としている、

クレーンはかつて自分が設計担当した製品がほとんど。

いずれの内容も、普段人が休んでいるときに仕事をする部門。

楽しいが、休みは確実に減る。

休日に仕事をして、事故の無いのを祈るだけ。

ご安全に!

 

2005/ 5/14

天孫降臨の地

連休明けの週末から月曜日にかけて、カミさん立案の格安鹿児島ツアーをしてきた。メンバーはカミさんと娘カップルの4人で、1泊2日の小旅行。目的は、知覧・霧島温泉・霧島神社・焼酎工場見学・指宿の砂蒸し温泉。

 

早朝の便で鹿児島空港に着き、格安のレンタカーで一路南下。

 

知覧は特攻隊の基地があった場所。「知覧特効平和会館」では、特攻で散っていった若者の写真が飾られていた。彼らが書き綴った家族への手紙に涙があふれた。時代の中で国を家族を守ると信じて、かろうじて飛べるようなオンボロ飛行機に250k爆弾をかかえ飛び立って行った彼らに対し、言葉もない。同じことが今もイラクで行われている。

 

知覧茶を賞味し、開聞岳の裾野の指宿温泉へ。目的は名物の「砂蒸し温泉」。更衣室で素肌に浴衣を羽織り、護岸下の砂場に。すだれの下で横になり、手際よく砂をかけてもらう。背中からガンガン暖められる感触と砂の重さに、普段の疲れが飛んでいくようだった。湯上りにすれ違う若い女性も「素肌に浴衣」と思うとちょっとどきどき・・・湯船で砂を流しさっぱりしたところで急に空腹感。空腹を満たすため、土産物屋で紹介された「さつま味」という店で郷土料理を食べたが、ここの料理のおいしさは格別だった。4人が全て○印とつけ、大満足。

ここから後はいつものように、酒を飲まない私が運転手。

 

その夜は、霧島温泉で1泊。連休後だけに、客もまばらで料理も満足。風呂もほとんど貸切状態でゆっくりできた。何より、ホテルの窓から見える錦江湾と桜島は絶景の一言。

 

翌日は、ホテルの支配人のアドバイスで、 「花は霧島煙草は国分・・・♪」の歌で有名なミヤマキリシマの自生地を見るべく、高千穂河原から自然歩道を歩いた。ここが、日本神話にある天孫降臨(天照大神の孫「ニニギノミコト(瓊瓊杵命)」を高天原から高千穂の峰に降りてこられた)の地と思うと、空気が浄化されているような感じがした。花の時期はやや早かったが小振りの花を堪能した。消失した霧島神社の跡地では、天孫降臨ご神火祭が行われる。このあたりから眺める、高千穂の峰は神々しく輝いていた。陽気に誘われて、もう蝉が鳴いていた。
その後、霧島神社に行き、お土産に「祝詞(のりと)」を購入した。祭事に神官が唱える例の言葉が書いてある・・・。

 

 袚詞(はらえのことば) 

掛けまくも畏き伊邪那岐大神 (かけまくも かしこき いざなぎのおおかみ)
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に (つくしのひむかのたちばなの おどのあはぎはらに) 
御禊祓へ給いし時に生り坐せる祓戸の大神等 (おんみそぎはらえたまいしときになりませるはらえどのおおかみたち) 
諸諸の禍事 罪 穢有らむをば (もろもろのまがごと つみ けがれあらむをば) 
祓え給い清め給えと申事を聞こし食せと (はらえたまい きよめたまえと まをすことをきこしめせと) 
恐み恐みも白す (かしこみかしこみも まをす)

 

仕上げは、鹿児島空港の傍にある「バレル・バレー」という、焼酎の元の麹(河内菌)の約90%を提供している会社の焼酎工場。ここでしか販売しないという焼酎を堪能してきた。むろん 私以外のメンバーだけ・・・(ToT)。
役員会の土産の焼酎「量り売り」という名前がついていない焼酎を購入して帰路についた。

 

2005/ 4/24

いつのまにか春

我が家に、新顔が登場。先日我が家で13年間生活を共にした、愛犬が死んで20日が過ぎた。粗ゴミ扱いで処理されるのも忍びなく、近所で営業(?)しているペット専用の葬儀場にで火葬し、骨は庭でいつも昼根していた木陰に埋めてやった。ひょっこり尻尾を振って現れそうな気がしていたが、いつまでもひきずってもいけないので、カミさんの知り合いの伝手で子犬をもらった。

 

母親は豆柴だが父親は不明。4匹の兄弟で1匹だけの黒を、娘は一目ぼれ。3月8日が誕生日なので、乳離れが過ぎた昨日貰い受けてきた。先週は、受け入れ準備で、犬小屋のリフォーム(?)をした。首輪と散歩用の紐も買ってきた。昨夜は初体験の外泊?いろんな事に興味津々でじっとしてることが無い。しばらく、楽しませてくれそうだ。

<命名>
名前がなかなかつかなかった。顔のが公家の眉のようなので「麻呂」、麦の季節に我が家に着たので「ムギ太郎」、4匹の兄弟で一番ゴンタクレ(この地方できかん坊の事)なので「ゴン」、などとどの名前も決まらない。結局「べん」と名づけられた。理由は、家の中をうろうろし、油断した隙に私のパソコンデスクの横に大量のウンコ!その行為から
対外的には、弁慶の「弁」・ベートーベンの「ベン」・勤勉の「勉」ということにしようと言うことだが・・・
さしずめ、いまは小さいので「小べん?」

<散歩・お気に入り>
今朝、初めての散歩につれて出たが、首輪もリードも気に入らない。だましだまし連れ出すと、隣の石垣に名前に負けない大量の排便。すっきりしたのか、家に帰ると食欲もりもり。
豆柴の子犬のはずだが、ハスキーのように大きくなったらどうしよう・・・
今は、玄関に籐籠に布団をしいて居を構えてもらったが、お気に入りは、靴の横に敷いた新聞紙の上。

 

愛犬の旅立ち(2005/04/02)

  わが家に迷い込んできたのが13年前
犬怖がりの カミさんが怖がりを克服して、一番かわいがっていていた。
数年前にフィラリアにかかりながらも長生きしていたが、今年の冬に体調をくずして大好きな散歩も出来ないようになっていた。
4月2日の夕方帰宅すると 庭で冷たくなっていた。くしくもローマ法王と同じ命日。

年齢からすれば、天寿まっとうなのだろう。
昼に、ゴソゴソと犬小屋から出てきたのは、お別れの挨拶だったのかもしれない。

 

2005/04/17

別府温泉

最近はまっている温泉めぐり。3月半ばに初めて別府温泉を堪能。
といっても、1泊2日の格安クーポン。飛行機で、大阪(伊丹)空港から1時間の大分空港へ飛び、そこからレンタカーでの行脚。メンバーはプランナーで旅の首謀者である我家のカミさんと、カミさんの友人2名(ご婦人)+おまけの私。  

空港に降り立つと、8代目の冬将軍とかで、別府は雪交じり。由布岳は雪化粧で、レンタカーではタイヤチエーンを貸してくれた。湯布院は、九州の軽井沢?(といっても軽井沢には行ったことが無いのだが・・・(-_-;)、若者が喜びそうなところ。ひたすら湯に浸かりたい私には、心ここにあらず。待望の、露天風呂を満喫。
夕方、別府に入り、別府散策(ガイド付)。街起こしで始めた、別府の街の観光ガイド。地元だけの共同浴場、名所、名物、別府の歴史を約1時間で案内してくれる。なかなか気に入った。夜は、料金の割に美味しい夕食で、食べ過ぎの4人。酔いも手伝い、ご婦人方のお相手をする前に、ダウンしてしまいました。(仕事の疲れかな ・・・)

翌日は、別府「竹瓦温泉」で、砂風呂に入り、砂の重みを体感。
別府八湯「地獄めぐり」のあと、明礬温泉で待望の「泥湯」に入る。温泉の噴出物が、まるで泥パックのようなお風呂。露天風呂は混浴だが、入り口は別々。途中まで衝立で仕切られていて、ご婦人のお姿は衝立越し。ぐるっと回れば一緒に入浴可能だが、なにせ泥湯の足元は自然石
のでこぼこ。おまけに足元は泥でまったく見えない。決死の覚悟で進まなければ、ご婦人のそばにはたどり着けないので、あきらめた。春休みできていた、青年達は、湯船の周りをフルチンで走り回っていた。
この他にも蒸し湯(温泉サウナ)、滝湯(打たせ湯)とあって、結構楽しめた。泥を洗い流しても硫化水素臭は取れず、その日の帰宅後も湯冷めしなかった。。久々に温泉を堪能した気分になった。
由布岳、別府の立ち上る湯気に、ここは火山地帯のど真ん中であることを認識し、地震と噴火がないことを願うだけです。

仕事を休んで骨休め。また来たいところのひとつになりました。別府界隈では、日本のほとんどの泉質を味わえるくらい、豊富なお湯があります。

 

2005/01/04

寝正月

正月は、まったくなんにせずすごしたような気がする。

<元日>
大晦日、毎年恒例のテレビ番組を見て、年が明けると家族で年始の挨拶。
一夜明けて、初日の出に手を合わせ、無病息災を願って拍手を打つ。
前日の雪空が晴れ、綺麗な日の出だった。
なぜか、毎年私が雑煮を作って、家族と一緒にいただく。今年も家族の数に変化無し。家族が増えるのは何時になるのだろう・・・
何時頃からか、カミさんの兄弟家族3組が我が家ですき焼きをする。年とともに、体に障害?が出来、酒を控えている面々が、ここぞとばかりに酒を飲む。昼から始まった宴会は夕方まで続き、日が暮れる前にようやく終わる。
そういえば、震災の年に、当時一人暮らしで、足の悪い叔父が我が家に来て、楽しかったと言ってくれた。震災の後に体調を崩して入院し、その年に帰らぬ人になった。
その時にかわいいと頭をなでられた我が家の愛犬はまだ、今年も元気で生きている。
元日の楽しみは年賀状。毎年の事ながら、それぞれが一年の思いを送ってくれる。

<2日>
年賀状のデータ整理で終始

<3日:狂言>
長女が大阪の新春狂言のチケットを購入し、家族4人で出かけた。4人なので車で出かけることにした。頼りはカーナビ。帰省ラッシュで、高速は大渋滞。通常の2倍も時間がかかった。ナビ通りに走ったら、大阪駅のまん前を走っていた。いつもなら、田舎モンにはとても走れるようなところではないが、さすが正月。すんなり走れた。(運転はカミさん)
正月の狂言は気分的にいい。大いに笑って帰ってきた。
腹がすいたので、レストランで食事をしたが、娘の希望で入ったら、チケット代の倍ほど取られた。(娘の作戦か?)
酒も入ったので、帰りは私が運転。帰りもナビ通り環状線を経由で帰ったが、車の量も少なくて、田舎モンの私でも環状線を通ることが出来た。

結局、元日と3日だけ動いた正月でした。

2005/01/01

年始挨拶

ホームページのメンテナンスンスを引き受けて今年で3年目に入りました。
皆さんのご支援で、なんとか、ホームページの形になりつつありますが、一方で変り映えしない内容で申し訳ありません。

昨年は、西日本支部の総会が開催され、今年は充電の年になります。
西日本支部が発足して今年で9年。思えば阪神淡路大震災の年に、本部から被害見舞いが届いたのが、きっかけだったような気がします。はやいもので、震災から10年が過ぎました。

昨年は全国各地での水害・台風・そして地震とつらいニュースが多い年でした。一方でオリンピックでの日本選手の活躍は我々を励ましてくれました。年の瀬には、奈良の少女誘拐殺人事件も解決し、礼宮様のご婚約と、やや明るい話もありました。

今年一年が会員の皆さんに良い年になりますことを願っています。

平成17年元旦 HP管理委員 福井 勇

2004/12/31

年の瀬・災害の年に大雪で締めくくり

年の瀬は大雪。めったに降らない我が家周辺も雨からみぞれに変わり、やがて雪に。日本列島大雪の大晦日になった。近畿では朝から、高速道路がほとんど全面通行止めになった。北海道では信じられない状況。夕方開通したので、近くの温泉に行ったが積雪はほんのわずか。気象に対する準備の出来ていない地域のもろさが露呈した。

気象といえば、水害・台風被害、中越地震と、今年は災害の多い年だった。特に年末のインド沿岸の津波被害を聞いたとき、神戸を思い出した。

「神戸には地震は無い」という何の根拠も無い神話は、あのときあっさり崩れ去った。
いつでも、何処にでも災害はやってくる。それは、あなたの傍も例外ではない。

交通事故も同じ。自分が事故に直面して、その現実を突きつけられる。ずいぶん以前に交通事故の直後に遭遇した事がある。長い直線道路で、普通乗用車と、軽トラックが正面衝突。乗用車の助手席に乗っていた女性が悲鳴とともに「私事故にあったの?」と自分が当事者になった事が信じられなかった・・・。結局、大声で悲鳴を上げていた彼女と乗用車の運転手は助かり、軽トラックのボディに挟まれて、意識の無かった中年男性の死亡が翌日の新聞に報じられていた。

保険会社の宣伝ではないが、「いつでも災害の当事者になりうる」という、ちょっとだけの気構えがあれば、災害時の対応は被害は最小限になるのでは・・・・

当たらないのは、宝くじばかり
 

2004/11/21

ツーデーマーチ

昨年も書いたが、毎年11月の第2土曜・日曜に地元加古川で加古川ツーデーマーチが開催される。今年はずいぶんコースが変わった。今年は初めてわが稲美町も参加し、最長の40kmのコースで我が家の近くがコース設定された。残念ながら、足に自信がないので私は20kmを2日間にしていたため、稲美町のコースは歩くことがなかった。
というのは、初参加の時に、高をくくって30kmに挑戦したが、ものの見事に体に拒否された。その日は土砂降りの雨でもあったが、15kmあたりで足の変調がみられ、それでも20kmまで快調な足取りだったのが、急に足が前に出なくなり、引きずりながらゴール。意地でも2日間歩くと翌日は10kmに下げて足を引きずりながら歩いて一応は完歩したが惨めなものだった。
以来、20km以上は歩かないことにしている。今年は8度目の完歩。

毎年、全国各地から来られるウォーカー達とお話するのが楽しみで参加している。今年は九州から参加された方と楽しい会話をしながらの完歩ができた。マラソンを趣味にしていたが、定年でリタイヤ後はウォーキングに転向し全国のイベント走破が今年末で出来るとおっしゃっていた。また、ボランティアによるコース途中のサービスも楽しみの一つ。特に「案山子」が出迎えてくれるのは加古川の名物になっている。

2004/11/11

出向・新職場

11月から、系列の子会社に出向して またモノづくりの前線に立つことになった。と言っても製造部門を持たないので、製造は外注することになり、営業・設計・調達まですべて自分でまかなう必要がある。小さな会社だけど、ほとんどが母体からの出向者で、定年前の管理職のたまり場のような資本金5千万円の企業。
売り上げの、大半が母体からの発注。競争力を持った企業への体質改善のため、外販を主体に今まさに改革に着手されたところ。

先日、挨拶周りに取引先を回ってきた。自分がかつて設計し、納品した製品でお世話になったお客。出向先が独自で開拓した新たなお客など、さまざまな業種の方と出会った。
「今は、仕事はいりません」と、品質を重視したモノづくりで信用を勝ち取り、「なんとしても作ってほしい」とのユーザ要請で、操業度が300%の企業。
アイデア勝負で新製品を売り出している企業など、この不景気のstar&moon中で元気の良い企業は一味違った経営をしていた。
負けてはいられないとファイトが沸いてきた。

出勤時間も、新職場に変わってから30分早くなった。別に仕事のせいではない。なんとなく今までより早めに出勤するようになっただけ。先日久々に新幹線に乗って出張した。

時間の都合で5時に起床したら、前日にラジオで話題にしていた天体ショーを思い出し、早朝の東の空を撮影した。話題のとおり金星・月・木星が一直線に並んでいた。

そういえば、空をゆっくり眺めていることもなかった。夜明け前の早朝に散歩することもあるが、今年の秋は空がきれいになったような気がする。(画像をクリックすると大きい画像になります)

2004/10/26

高野山詣で

週末に 弘法大師のお膝元、高野山から龍神温泉へ、息子を亡くした姉夫婦と一緒に行ってきた。

世界文化遺産に選ばれた高野山は、大勢の観光客が訪れていた。「同行二人」と書かれた白装束で「南無大師遍照金剛」を唱えお参りにこられる方、修行僧、いろんな人がここに集まる。

「奥の院」に至る参道は杉木立に囲まれ、どこか浄化されたような空気に包まれたような気がした。

平和を願うこの地では、かつての敵味方が隣接して墓所を構える。宗派も越え、国も越えて慰霊の碑が建つ。歴史に名を残す人、家がここに集まっている。

寺内で、杉の葉を集めて掃除をしていた方に「ここにはどれ位の数のお墓があるのですか?」と質問すると、手を休め親切に教えていただいた。
一番小さな墓標は「一石五輪」といって、20センチ程の岩を刻んだもの。新たに墓所を作ろうとすると、名も分からないその墓標が無数に出てくるとのこと。よく見ると、そこかしこにその一石五輪があり、中には杉の根に巻かれたものもあった。質問が愚問であり、高野山信仰の奥深さを感じた。

夜は、ここから1時間半程の道のりにある龍神温泉に泊まった。温泉と食事を堪能し、眠りについた。

夜 ふと目が覚めて窓を開けると、降り注ぐような星があった。久々の星空に感動してまた眠りについた。

夜が明けて、ニュースを見ると、新潟で震度6を越す直下型の地震が続いていると報道され、阪神淡路大震災の記憶がよみがえる。被災した方々に一日も早く避難所生活が終わることをお祈りします。また、兵庫県でも出石町、豊岡市の全域にわたる水害と、災害が政府に忘れられることがないことを祈ります。

 

2004/ 9/26

礼文島の秋

 

機会があって、礼文島に出かけた。
夏(7月)の礼文しか知らない私には、初めての秋。風の礼文しか知らない私には、うそのような陽だまりの中、半そで姿で居ることが出来た。
地元のK氏夫妻の歓迎を受け、おまけに雨の天気予報は見事に外れ、島は快晴。K氏の話では、こんな日は珍しいらしい。

 

たくさんのご馳走と、たくさんの話。いつも思うK氏夫妻のやさしさ。
厳しい自然の島で暮らす人には、お互いが助け合って生きていく。そのためにやさしさが体の中にしみついているのかもしれない。酔いにまかせ、夜が更けるのも忘れて、話をしていたら夜中になった。

天空高く光る北極星に、ここが日本の最北の地であることを知らされる。

とても充実した休日だった。

 

    

(礼文秋色の画像はこちら)

 

2004/ 9/ 7

台風・地震・また台風

 

 台風16号がやってきて、あちこちに爪あとを残していったと思ったら、今度は紀伊半島沖の地震。長い揺れの地震だった。親戚の家族と夕食を楽しんだ後、それはやってきた。震度5弱(この辺は震度3程度)。神戸の時を思い出し、長い揺れにおびえた。幸い被害も無く我が家にはいつものにぎやかさが戻った。と、今度は夜中にまた揺れが始まり、しばらく寝付けなかった。

 今度は台風18号。会社は昼に早々と帰宅指令を出し、いそいそと帰宅する。小学生の時の吹雪がひどくなった時の集団下校のようなワクワク感。帰宅するときの会社で砂が舞い、目が開けられないような風。会社の幹部の判断は賢明だったようだ。

 

 帰宅すると、長女がテレビのNHKニュースをつけて座っている。しかし、この強風は尋常ではない。突然屋根の上で大きな音。また屋根が剥がされた?と思ったが、テレビのアンテナが倒れた音。案の定BSが映らない(他のチャンネルはケーブルテレビで見ているが、何故かBSだけは直接受信に設定している)。高速で走り抜ける台風の風がおさまるのを待つしかない。
 あちこち点検していると、家の裏にある柿の木の廻りで、雀の声がにぎやか。風の陰になっている柿の木に避難しているようだ。雀のお宿は竹林だけでは無いようだ。(写真)

 

 それにしても、広島で60m/secを超える記録的な瞬間最大風速。厳島神社の一部が倒壊したという。神戸では高潮で道路が水浸しの映像が入ってきた・・・

西日本支部の諸氏に、被害がないことを祈るのみ。

 

2004/ 9/ 4

夏休み-その4 旅日記(同総会の日)

 

田舎の姉夫婦と一緒に阿寒から知床をドライブし、知床峠を越えて、ウトロのホテルで宿泊し、翌日が同総会の当日。

 

8月11日(水)---休みの連続で曜日が判らなくなった

 

朝から雨。この日は、知床から藻琴山の麓小清水側の屈斜路湖展望台に行ってみた。美幌峠とは一味違った風景はお気に入りの風景になりそう。
熊笹のじゅうたんに、ところどころから白樺がポツンと生えている。この辺り特有の光景。カミさんにメールしたら悔しがってた。次は連れてくるか、一人で来させるかしないと、夫婦仲に亀裂が入るかもしれない。

 

せっかく来たのだから、このまま、峠越えしても見る所がないので、屈斜路湖の東を一周して美幌峠で昼食を取ることにした。途中まで、カーナビはひたすら元の道に引き返せと主張するが、砂湯付近まで来てようやく美幌峠廻りの道で合意(?)することになった。

美幌峠ではここも寒風が吹き、峠の土産物店は道の駅に変貌して、相変わらず一杯の人。私はラーメン、姉は舞茸釜飯、兄は峠天丼。特に峠天丼は地元の舞茸を天ぷらにした丼で、具が丼にてんこ盛りになっていた。回りのお客がその具の量に指さして大笑いしていた。食べ切れないと、具が私の前に来たが大食の私も持て余した。ゲップ。

 

北見で(中学の旧友)Kさんを拾って、翌日の兄の釣用に北見の釣り具屋で魚の餌を買った。(山の中で魚の餌を買う不思議)
姉夫婦を丸瀬布まで送った。

 

いよいよこれからはクラス会モード。Kさんと二人でのドライブ。
彼女がかつて住んでいた場所、湧別の浜、などをぐるりと回って同窓会場に着いた。
入浴ができるので、早速旅の汗を流し、皆の来るのを待つことに。

 

やがて、開催の時間になり、三々五々?集まって来る旧友に顔を合わせる度に「おまえだれだっけ?」という会話が飛び交う。

中学のアルバムを広げて、昔の写真と突き合わせてようやく納得するも、すぐ忘れてしまう。(なにせ、中三の時に中学校の統合で、1年間ほとんど会話もしたことのない顔もあり、壊れた細胞が修復するはずもなく・・・)

真っ白の頭、顔が後頭部までつながった頭、そのまんま年とった顔・・・

近況やら、昔話やら、人生経験やら、思い思いの会話がそこここで始まる。食事をするのも飲むのも忘れてあっと言う間の時間が過ぎる。

お開き前に、次回は3年後にということが唯一の決定事項。

「来てよかった」とつくづく思う。

 

二次会は、宿泊者の部屋と、同級生が開いているスナックと二手に別れて開催。気が付いたら0時半を回っていた。一体何を話ししたか覚えていない。

大量に残った料理と、酒。地元の諸君に持ち帰ってもらったが、それでも大量に料理が余った。

 

結局、翌日の予定は決まらないまま床に着いた。

平日の開催もあって、宿泊は札幌からのH君夫婦1組、T君、北見からのU君とKさん。そして一番遠路の私。

 

翌日は、三里浜というサロマ湖とオホーツク海が砂洲で仕切られた場所で、童心に返り波に戯れ心の洗濯。やはりふるさとはいい。

 

2004/ 9/ 4

夏休みその3 <船旅日記>---夏休みで、北海道に帰省したときの船旅日記---

8月7日(土)
いよいよ出発という日 直前までホームページのメンテやら、旅行の準備?やらでどたばたしていた。朝テーブルの上にあった財布が(みあたら)ない。大騒ぎして探したら、何のことはないちゃんとバッグの中。何度も見たのにまるで神隠し。(という事にしておく...)
カミさんが「ほんま、大丈夫なん?」
と言うのも、最近の私が「もの売れ症候群」がひどくなっている事が気になるらしい。彼女には「この人ホントに会社で仕事出来るのかしら?」と疑問符号の数が日増しに増えているようだ。

いろいろあるも、19時に自宅出発。いつも早めが私のモットー。ニュースでは、朝から山陽自動車道でのトンネル火災事故やら、県北部や道中で雷雨が発生しているらしいので、いつものように早めに出発。

何事もなく、カーナビの言うことを半ば無視しながら目的のフェリーターミナルに到着。法定速度を若干上回った速度でのクルージング効果もあり、2時間少々で到着した。
道中で土砂降りのところもあったがおおむね快適なドライブ。

船は先日就航したばかりの、超大型フェリー。舞鶴と小樽を20時間で結んでしまう。速力は32ノット。快速を誇る戦艦大和が27ノットだった事を考えるとものすごい速さだ。海上を時速60km弱で巡航出来る。しかし、この速度も考え物。小樽、札幌界隈に帰る人は良い。これから旅を始める人にとって、着くなり宿を探さなきゃならない。
同室のライダー諸君も、翌日の宿地候補の話題で、持ちきり。

何だかんだ言いながら、1時頃消灯し、固いカーペット床に毛布一枚を被って眠りにつくことにした。

寝苦しさで、夜中に目が覚めると真横に 髭面のおっさんが迫ってくる。「おい、俺はその気はないぞ」と、心の中で思ったが、何のことはない短に2等客室の狭さが作った状況。隣がお嬢さんだったら...と無い物ねだりをして、また眠りにつく。

8月8日(日)
久々に、旅に気分がハイになっているのだろう。早起きすることになった。
デッキに出ると、ちょうど朝日が上るころ。日の出の写真が撮れると、デジカメを取り出したら電池ぎれ。非情にも、カメラが「撮影を取りやめします」とメッセージを残しブラックアウト。
携帯のカメラ機能で写したが、やはり物足りない。
予備の電池がバッグにあったはずと探すも見当たらない。充電器が見つかったので、早速充電開始。予備電池は準備していたはず。と、しばらくして思い直し、もう一度探すとちゃんとある。やはり、神隠し。

デッキでは、同じようにカメラを持った数人がいて、朝日を撮影していた。「きれいだねー」を連発していた、同世代の奥さん。
揺れる船に三脚を立てニコンの一眼レフに望遠レンズをつけて撮影していたおじさんに心の中で「手持ちでないと、お日様はブレますよ」と言いつつ、彼のプライドを傷つけるようで言葉を飲み込んだ。それにかわいいお嬢さんが印象的だった。(お嬢さんはしっかり携帯のカメラで記録しました~♪)

船内放送で姉妹船がすれ違うと告げられ、デッキに出かけると人が鈴なり。舷側の通路は高速航行で風が強いため閉鎖され、後部デッキが唯一の解放デッキ。出たとたん あっつー。今回は船の上も猛暑。
やがてすれ違う船が汽笛をならしてのあいさつ。「速っやー!」と歓声が上がる。速いはず、相対速度は時速100kmを越える。

昨夜、宿泊場所の話題で盛り上がった同室の方の知り合いのライダー仲間(女性)が同じ船に乗り合わせ、しばしライダーの話題に入るが、いかんせん私とは二回り程世代が違い所詮カヤの外。ついつい「おじさん」がでてしまう。聞けば、福岡と大阪から。彼女たちの行動力には恐れ入る。
同室の方は、コーヒー豆を販売している会社の営業マンで、集金日2回の仕事を同僚に頼み込み、北海道旅行を選んだライダー。自分で焙煎した豆を持参し、ミル・ペーパーフィルターまで持ち込んでコーヒーを楽しんでいる。彼のことを名付けるならさしずめ、「コーヒーライダー」かも。

昼食は、レストランでのバイキング、中華がメインの\1,500也は、高いか安いか? この味ならデザートにフルーツでもあれば納得出来るが、ヨーグルトだけではやや不満。「まーしょうがないか」とあきらめるが、次からはカップめんで十分かな?

船が高速になったせいで、娯楽設備がかなり省かれている。ビデオの放映のアナウンスがあっても、見る場所がない。以前の時間なら、船内で結構時間つぶしが出来るように配慮されていたが、だんだん移動の手段的な船旅に変わりつつある。時代の流れなのか?と考えさせられる。
長距離フェリーは、普段は味わえない船旅の楽しさが体験出来る時間だったのに...

と言いながら、下船間際になると、ライダー諸氏の宿泊所探しが緊迫感を帯びてきた。
かつて探したところ、知り合いのビジネスホテルなどガイドブック、あるいは電話で聞き込みようやく見つかった。聞けば彼らの予算は1日3~4千円。基本的には食事代のみで、旅を続けるらしい。彼らのエネルギーに感服した。いつの間にか同じ部屋のみんなが打ち解けて下船の頃にはすっかり友達になっていた。

2004/ 8/ 6

<夏休み-その2>

 会社で仕事をしていた、気がついたら台風が発生し、帰宅時刻には通過して翌日には温帯低気圧。かと思えば、西へ西へまれで動かない,台風がわんさか雨を降らせて去ってゆく。異常なのが正常かもと思える今日この頃の気候。

 とかいいながら、また夏休み。今度は北海道へフェリーで帰ることにしている。今日はそのために、残務を整理していたら、10時を過ぎてしまった。あーしんど。
 いよいよ明日の夜中に出航。舞鶴発小樽行き。フェリーはどんどん高速になって、30時間の船旅が21時間に短縮。おかげで小樽着は20時30分。これでは着いてから身動きできない。札幌あたりで一泊することにした。結構不便。

今回の目玉は、中学校の同窓会。40年近く会ってない同級生もくるかもしれない。とても楽しみ。

というようなことで、ホームページのアップはしばらくあとになりそうです。次回には土産話も載せられたらいいなと思っています。

<ゆびとま>この指とまれという全国の同窓会サイトがあり、我が旭川高専の同窓生の登録が361人。同窓会HP管理委員で、ここに登録されている方で、同窓会名簿で住所不明の方に名簿登録の案内を送信しました。わずかですが反応もあり、同窓会HPへの反応もありました。本部総会に参加してもらえるとうれしい・・・・

 

2004/ 7/25

<夏休み>

支部総会が、7月17日に開催された。今回の総会は、例年にもましての猛暑の中での開催。個人的には、夏季電力休暇で1週間の連休初日にあたる。例年この時期はフェリーで北海道に帰省することが多い。
今回は、ホームページメンテナンスの格好の時期のはずだが、業務上のトラブルで精神的な余裕が無く、ようやく支部総会の画像をアップすることが出来た。

休みの日課は、まず早朝からの蝉時雨で起こされる始まる。暑くならないうちに老犬を散歩に連れ出す。この暑いのに毛皮をまとった彼にはつらい時期だろう。蝉だって、昼過ぎには鳴くのをやめる。(これも暑さのせいなのか?)
次に、義母を病院に連れてゆく。糖尿と先日の怪我治療で、病院のはしごをする。
病院は涼しい。いかに病人のためとはいえ、過剰では?
一段落し、HPをアップしようとするが、先日来パソコンがおかしい。
ひょっとして、ウイルスに犯されているのではと思う。ウイルスチェックソフトは必ずデータ更新し、常にチェックしているが、ある日突然見つかった。復旧の操作をしてまいたが、突然フリーズする。突然再起動が始まるといった状況がだんだんひどくなる。
もう一度フォーマットするべしか・・・
そんな状況と、暑さの中での無気力も重なって、結局ぐうたらの毎日を過ごした。

唯一、一昨日の温泉めぐりがいきいきの日でした。

 

2004/ 6/27

<ホタル>

10年程前まで、田圃の側溝で、飛び交っていたホタルを見かけなくなって久しい。
昨年夏に礼文島から友人がやってきて、「ホタル?みたことない!」というので、町の「水辺の森公園」に夜中に出かけて、ホタルを探した。ようやく数匹を見つけなんとか「お客さん」の希望をかなえることが出来た。
客人は、話とかビデオとかでは知っているものの、実物は初めて。「ほんとに光るんだね」と感動してくれた。

家の周りでは、すっかりいなくなったと思っていたら、
先日、犬をつれて夜の散歩をしていると、家の近くで、光る物体発見!
家に帰って娘たちを呼び出し大騒ぎに!!

たかがホタル でも ホタル。自然が帰ってきているようで、ちょっぴりうれしい一日でした。

 

2004/ 6/ 9

<ご対面>

本日我が社に、旭川の永山に拠点を持つメーカの営業がやってきた。
自己紹介で、旭川高専の出身。若々しくはつらつとしていた。

年齢的には私の娘の世代。
今は、札幌の営業所勤務で、全国の大手製造業を廻っているらしい。
機会があったら、仕事をしてもらいたいと思うが、なにせ、「橋梁」を中心とする官公庁相手の製造業なので、まさに構造不況業種そのもの・・・。

「お役人様!! 我々が赤字にならない、適正な価格で発注してください」
 

2004/ 6/05

<でっかい満月>

先日は、一年で一番大きな月に見える(地球に最も接近)満月とニュースで言ってた。

満月それならばと、月夜を撮影。

デジカメで夜景を撮る難しさを痛感。
なにせ、暗闇なので「ピントが合わない」、「露出時間もわからない」。結局ピンぼけの写真になってしまった。田植えのための水張に映る月の光、雰囲気は伝わるかしら?
ここは「田園」

これでホタルでも飛び交ったら最高なのだが、数年前まで見かけたホタルも、最近はまったく見なくなった。水路がコンクリート製になり、えさになるタニシがいなくなったせいだと思う。

今日・明日の土日は、近所の田んぼで一斉に田植えされる。手で植えている風景はもう見られない。何処の田んぼにも田植え機が活躍している。
田んぼの水入れは、パイプラインが出来上がり、それぞれの田んぼでバルブを開けるだけ。上手の田んぼから、水が廻る順番に、「でめんさん」と言って、農作業の応援をしたり、近所で助け合って田植えをする光景もなくなった・・・こんなんが本当にいいのかな?

ここの田植えは、多分全国で一番遅い田植えだと思う。
私の記憶では、北海道でも5月の中ごろだったはず。。。。

2004/ 5/22

<2000人突破!

このホームページのアクセス数が2000人を突破しました。「気まぐれ日記」も900人を超えています。昨年、源津さんからHPの管理を引き継いで、10月に本部サーバーに引っ越してから約7ヶ月間、これも皆様のおかげです。
毎週更新を目標に、まだまだ頑張ります。

一方、同窓会支部総会の案内を配信してから、2週間が過ぎましたが、こちらのほうはさっぱり参加者が増えません。(ーー;)

この気まぐれ日記は、「家庭内暴露」と家族からは不評です。結果的には、私のストレス発散に書き込んでいるだけかもしれません。おかげで、昨日の糖尿病検査結果では、数値的にかなり改善され、もう少しで常人に近い値。先生からのもう少しですから頑張りましょうと励まされ、ややいい気分。(後日、職場にいる糖尿病の先輩(?)の談では、「これからが下がらんよ」と・・・ひややか)

糖尿病の検査の日は、折角休暇を取得していることだし、とりあえず、業務では特別緊急問題もないことを確認して休暇モード突入。

5月の連休に行った、岡山の「真賀温泉」に入りたくなって、2時間半雨の道を軽四でひた走る。自動車道を降りて、左折すれば、あと2kmなのに、1km先で、「崖崩れにより通行止め!」。料金所のオジサンに聞けば、「だめだね。湯原にでも行けば。」とつれない返事。しかたがないので、左折を右折に切り替えて、10分湯原温泉到着。
河川敷の駐車場に車を置き、「砂湯」でちゃぷん。平日の昼下がり、それも雨。いちゃいちゃのカップルを含め、お客は5人。傘をさして、露天風呂を堪能。この温泉はアルカリのいわゆる美人の湯。「休日の衆人監視状態」とは違い、ゆったりと入浴し、15分ほどで、汗がぽろぽろ。約30分程浸かって、身もこころも「ほかほか」。

入泉料金:無料。交通費:往復約6000円也。なんとなく、アホな私が見えてくるのと、今までの疲れが、途中の神経がほぐされて、顕在化したため、今日はぐったり。

でも明日は休日なのでまた元気にリフレッシュ出来そう。
明日は、裏の側溝の草刈だー!!

<歯抜け>

昨年から、親知らずに突き上げられてぐらぐらしていた歯がついに抜けてしまった。

歯医者がびっくりするほど綺麗な歯だったが、いかんせん歯茎が弱って根っ子からすっぽり。先生も「勿体無い歯だね」と言っていた。普通の人は、根が普通2本あって、広がった形になっているのだが、抜けた歯は、広がらずに先すぼまりなので、抜けやすい形になっているそうだ。

治療は、親知らずと抜けた歯の前の歯でブリッジを作るそうだ。土台の部分を削りながら、刃物が負けたらしい。親からもらった丈夫な歯に感謝。弱い歯茎は自己管理の悪さなのか?

抜けた歯は何に使おうか?・・・穴をあけて携帯ストラップ?

2004/05/14

宛先不明

<案内状の返信状況>
支部総会の案内状を5月8日に投函して、1週間。我が家に返信の葉書が届くようになったが、いつもがっかりするのは、「宛先不明」で返ってくる案内状。

本部からの住所データ、前回発送時の返信されてきた住所情報を確認して投函するのだが、14日現在宛先不明で返送された案内状の数が26通になった。
出欠の返信葉書が10通(投函したのは200余人)。そのうち、「出席の返事」が1通。とっても悲しい・・・ (T_T)

もし、宛先不明者のリストで、住所をご存知の方がありましたら教えて下さい。
行方不明者のリスト案内先一覧のページを参照してください。

<心温まる支援>
送付した、宛先に現在お住まいの方から、ご丁寧にメールをいただいた。内容は、「送付いただいた方は現在住所が判りません。連絡のないまま案内が届けられでも本人に伝わらないので、その旨をお知らせします」と、心温まるメールでした。ご本人は宮城高専のご出身とおっしゃられており、旭川高専の縦のつながりの強さに、うらやましがられてもいました。

2004/05/08

案内状出来たっ!

支部総会の案内状がようやく出来あがった。支部在住会員+会長+各支部委員長+校長宛で総勢200余人。前回の住所録作成時からずいぶん増えている。

本部から入手した住所データと、前回の支部総会時のデータをつき合わせ、7C土谷さんにチェックしてもらった内容で、宛名を印刷した。
卒業期によって、人数のばらつきはあるものの、西日本支部は、電気工学科卒と工業化学科卒が案外多い事に気がついた。

今回は、経費節減のため、初めて往復はがきへの印刷で、限られたレイアウトで最大限の情報を詰め込んだら、虫眼鏡が欲しくなるような小さな文字になってしまった。(老眼鏡の必要な年になった私(達?)にはちょっと辛い)。
宛名書きソフトで、ちょっと欲張って会員番号も印刷すべしと試行錯誤のうえ、何とか希望通りに収まった。会員諸氏の手元に届いた案内状をながめて、私の苦労の跡を探して欲しいと思うが、あきらめる・・・

役得だが、これから返信はがきが届くのが楽しみだ。わずか数行のコメント文に、それぞれの近況やら、思いやりやらがあふれてくる。宛名を見れば、会社の寮とか社宅住まいから、数年も経つと、この人は家を建てたんだとか、転勤で単身寮住まいなんだとか想像が出来る。

寂しいのは、やはり「訃報」 犬山での支部総会(H13)時に「今回参加出来ませんが、皆さんによろしくお伝えください」とコメントいただいた、6C大西勝久氏はついに参加することなく、逝ってしまった。京都総会に参加いただき、その年の秋に亡くなった、4M長谷川隆敏氏は、「同窓会楽しかった」と生前言っておられたとか・・・

そんなこともあるので、支部総会にはぜひ参加して欲しい。
今回の参加人数の目標は、支部長は(控えめに)35人。事務局の私としてには40人は集まって欲しいと思うのです。(たった20%ですもの)

 

2004/05/05

リフレッシュ

気が付いたら、連休はもうおしまい。あっという間だった。

4月30日は、湯原温泉で、甘露の湯につかり極楽

5月1日は朝からTV映画でぐうたら。昼になって、先日仕入れた卓上で使えるバーベキューコンロの試運転?と称して、冷凍庫にあった「ニシンのひらき」と、「ぬかホッケ」を焼いた。さすがに炭火で焼く魚は格別.「ぬかホッケ」はホイルで包んで焼いたので、チャンチャン焼風になり、ぬかの塩加減が、食欲をそそる。

5月2日は淡路島の知り合いの家に行って、「筍」と「みかん」をゲットしてきた。たまねぎは、今の時期は腐りやすいと聞いたので、購入せずに帰って来た。
カミさん曰く、腐らすより、多少高くても必要な量だけ買うほうが得なんだとか…

  淡路島は出口の料金所で大渋滞。自慢のETCも、専用レーンが無い淡路では、優越感も味わえず・・・(それにしても明石大橋はいつ走っても長いと思う・・・)
洲本温泉で唯一「2種類の温泉」が出るホテル「四州園」で風呂に浸かり、リフレッシュ。

5月3日は、自宅で同窓会支部総会用の名簿データのチェックと、案内状の作成。
ようやく、送付前の準備が出来たが、肝心の「往復はがき」は郵便局がお休みで作業終了。

5月4日は雨だったので、人が少ないと見込み、山崎町の「花菖蒲・シャクナゲ園」に行き、雨上がりの花たちを撮影。帰りは「よい温泉」まで足を伸ばしてリラックス。
夜に東京へ出かけた娘を迎えに三ノ宮まで。帰省ラッシュの高速道路の料金所で「ETC」の恩恵を体感し、しばしの「優越感」。帰宅後「支部総会の案内」をホームページ用に作成し、夜中までかかってしまった。

5月5日(最終日)は、朝からゴミ出しで早起きしてしまった。雨で薄汚れ、体毛が抜け始めた嫌がる老犬をシャンプー。ついでと言われて、カミさんから鉢植えのハナミズキを家の端に植え、そのままホームページのメンテナンス。

  夕方に、娘たちが吹奏楽の「アンサンブルコンサート」に出るからと言って、ビデオ撮影を頼まれ、近所のホールへ。(例によってオラが村のオラがホール)
アマチュアの趣味の延長だし、うちの娘が出る田舎の演奏会だし、タカをくくって聞きに行った。

  ところが、サックスの2重奏「見上げてごらん夜の星を」を聞いていたら、涙が出てきてしまった。年とともに涙腺が弱くなっているが、あれは何んなんだろう?
「鳥肌が立つ」経験とか「涙を流す」経験は、すばらしい歌や映画ではあるけど、演奏を聞いていて涙が出てくるのは初めての経験でした。
(もちろん娘の演奏ではありません…)

 結局龍神温泉は次の機会まで延期となってしましました。(ーー;)

2004/04/30

超大型連休

今年のゴールデンウィークは、11連休にする人もいるとか・・・

我が社は、29日が出勤で、30日から6日間の連休。カミさんは30日が仕事。で明日/5月1日から連休。ということで さっそく、私は30日から休日モードでアクション開始!

 

最近のマイブームは 温泉めぐり。初日の今日は岡山県の湯原温泉界隈で「お気に入りのお湯」探し。

ガイドブックやら、インターネットに載っていて、評判のところに下見に行ってみました。

行った場所は、「真賀温泉館」「郷六温泉」「砂湯」の3ケ所。

 

真賀温泉館は、地元の組合で運営している湯治場で、湯船は4つ。奥から「家族風呂」・「幕湯(混浴)」・「男湯」・「女湯」。大枚(???)250円を支払って源泉がこんこんと湧き出るここの温泉の元湯、「幕湯」に入ってきました。(ちなみに男湯・女湯は150円)

 いやーなんとも「つるすべ」のぬるめのお湯で、すっかり気に入りました。自然岩で作られた、小さめの、とっても深い風呂は、足の短い私には上がるのが一苦労でした。
 湯船に浸かっていた先客は、月に2度はやってくるという岡山県の南から来た常連さんで、彼は2時間くらい入っていました。
 私の後からは、定年後と思われるご夫婦。ご主人の談では「夫婦一緒に入らないと楽しみが無い(真の理由はわかりません(^_^;)」との事で、全国の混浴めぐりをされてるとのこと。前日は湯原温泉に泊まられ、炎天下の「砂湯(無料の露天風呂)」に入られたそうで、奥さんの背中がほんのりとピンクに日に焼けていました。
 さらに、大阪からの温泉マニアの青年も加わって、しばし温泉談義に花が咲き、気が付くと私も1時間程つかっていました。おかげですっかり美人肌??
湯上りに冷やした温泉水を飲んで、老夫婦と娘さんの親子連れのといっしょに管理人の昔話を聞いて帰りました。(身も心もあったまった風呂でした)

 

他の2箇所の温泉も、足元から温泉が湧いてくる「まじりっ気無し」のいいお湯で、いずれもつるつるになる「美人の湯」でした。(砂湯はご存知、露天風呂の西の横綱とか)

 

今回は、[幕湯]がすっかり気に入ってしまい、次回は弁当持ちで来なければ・・・
(真賀温泉では、食堂らしきものはありません。旅館が数件あります)

遅い昼食は、下湯原温泉の食堂で 「そば定食」を注文し、これについていた「冷やっこ」がとっても美味しかったので、豆腐を土産で買って帰りました。

 

今回の連休では、あと1箇所 和歌山の龍神温泉を狙ってます。

もう一度カミさんと一緒に「真賀温泉」から「奥津温泉」のハシゴもいいかも。
(奥津温泉の奥津荘には「鍵湯」という昔の殿様専用のお風呂があり、熱めのお湯がこんこんと湧いていて、10分程度で汗だくになります)

 

残った日で、「西日本支部の総会案内状」を作成するつもりだが・・・どうも怪しげ

 

2004/04/12

さいたさいたさくらがさいた

1957年4月1日 北海道の片田舎の町立小学校に入学。
道には雪がいっぱい残り、ようやく幹線道路の除雪が始まる。ブルドーザが湿った雪をぐいぐい押しのけて行く。自分が押しつぶされるような気がして逃げ惑った。ブルドーザが通り過ぎた後には、土が顔を見せる。

やがてもうもうと湯気を立て黒土が乾いて行く。それが北国の春の始まり・・・・

 

一年生の生活がはじまった。

「こくご」の教科書に最初に出てきたページは 桜の花の挿絵がついて

「さいた さいた さくらが さいた」
と書かれていた。

北海道の桜の時期は5月半ば。外はまだ雪が1mも積もっている。

「どうして、桜が咲くのだろう?」
まるで別世界の話だった。

 

「りか」の教科書には、渡り鳥のことが書いてあって、
「夏になるとツバメがやってきて家の軒先に巣をつくります」

本物(?)のツバメをはじめてみたのは、20歳になってからの事。
あまりにもツバメが小さいので 「これは子ツバメで、いつかもっと大きくなる」と思った。

 

今の教科書は、その地方に合わせた内容に編集されているのだろうか?

 

日本(政府)の考え方って、この教科書となんら変わらないような気がする。全ての基準が東京なのだ。中央意識が過剰で、何も見直そうとしない。

阪神淡路大震災のとき 東京から来た某女性キャスターが「この地震が東京に起こらなくてよかった・・・」と発言して、番組をおろされたとか・・・。

BS放送では、天気予報も交通渋滞情報も東京近辺の内容が放送されている。

「おかしい」と思わないのだろうなきっと。一地方のことなど無視してもOKなんだ。

 

話は戻って、さくらの話。

「染井吉野」が桜の主流で 全国何処でも同じ桜。接木でしか増えないので、DNAは全て同じらしい。私は八重桜が好きだ。私の娘も八重桜を見ると「桜餅食べた~い」と言い出す。葉っぱの色と、大きな花弁がまさに「桜餅」にそっくりなのだ。

染井吉野が散ったあと 数週間後から咲き始める。

 

これからは、桜だけではなく、それぞれが個性を主張する時代 まさに地方の時代。

 

地方の総会 西日本支部の総会 にも参加してください。開催は7月17日(土)です

 

2004/ 3/20

暑さ寒さも彼岸まで・・・

 

 週末の気温が寒暖交互にやってくる。治りかけた風邪がぶり返しそうな日々。

先日(18日)、西原支部長と神戸(元町)で総会会場候補の下見をした日が最悪の日。

前日の暖かさが異常だっただけに。身にしみた。

 

 通勤の途中で、桜が咲いていたので、今日撮影してきました。桜の種類が違うようで、早咲きの品種(※)だったようです。西日本の開花は1週間先になる見込みです。近所の桜の名所は「姫路城」・「明石公園」・「須磨浦公園」等など・・・

 ※後日お話を聞くと、「サクランボ」の花でした。精一杯誉めて置いたので、収穫期にはおすそ分けがあるかも…

 

 下見の記事を載せるついでに、過去の総会記事を整理しようと、同窓会会報をめくると、1997年の会報に「第1回西日本支部総会 実施報告」の記事が見つかった。3M 辻田さんがかかれた記事で、生みの苦しみが伝わってくる。


 同じ見開きページに 2M山口さんの「阪神大震災から1000日目の今日」の記事があり、読み返して、肉親が焼死した部分まで読むと、涙があふれてきた。
 今日は彼岸の中日。彼岸の彼方から、此岸の家族を見守ってくれていることでしょう。

 

 震災といえば、今日3月20日は 復興に向けて必死で頑張り、岸壁クレーンを復旧した後、コンテナ船が初入港して荷役を行った日。
翌日の新聞紙面は、この記事がトップになるはずでした。しかし、地下鉄サリン事件が1面を占領し、マスコミのインタビューに答えていた復興の仲間は「毒ガスに負けた」とくやし涙を流していました。

 

追記:我が家のパソコン。ディスプレイが液晶に変わりました。かぶりつきで作業していたのが、やや控えめに・・・。(うれしい!)

 

2004/ 3/14

3月14日のTopページから(春色)
 

 春の陽に誘われて、今日も近くの公園に出かけました。道すがらの畑やら庭先では、菜の花、たんぽぽ、すみれ、梅、こぶしなどの花が咲き始めています。先週はまばらだったサンシュユの花は満開でした。ヒバリがさえずり、菜の花にはミツバチが群がる。播州平野はこれから春です。

 ふるさとの北海道は雪解けが始まっているのでしょう。
 

 一面真っ白だった世界から、黒土が顔を出す。雪解け水が庭のくぼみを流れ、スコップで小さな川にしてゆく。黒土は広がり湯気を立てながら乾いてゆく。

 畑の上の雪は昼間に解け、朝の冷え込みで表面が硬まる。
「かた雪」になってその上は埋もれずに歩けるので、広い畑がまるでグランドのような遊び場になる。
朝は学校まで かた雪 の上を近道をする。帰りは雪解けの水溜りやら川で長靴をどろどろにして遊びながら帰る。
もう40年以上も昔の話。


今の子ども達はどんな遊びをしてるのでしょう。

2004/03/14 TopPage

2004/ 3/ 7

季節はずれの雪

 

今日は、午前中は晴れ。

昼頃から、季節はずれというか、ここでは珍しいボタン雪が舞いはじめ、あっという間に一面銀世界。

午前中は、健康のため、約5kmを歩いてきたが、風は冷たいものの、のどかな日差しのなか、ヒバリの鳴く声やら、青々とした麦畑に春を感じていた。

寒気団の張り出したところに低気圧の通過というこの辺の降雪条件が整ったせいだと思うけども、普段は雪とは縁が無くちょっとうれしい。

 朝のニュースで、城崎温泉の雪景色が写り、これから、雪見風呂に出かけようと思っている。渋滞が無ければ片道2時間強のみちのり。

 

<城崎です>

     

一面雪だらけ。風情よし。湯よし。

お気に入りは「まんだら湯」 桶風呂でゆったりしてきました。

 

2004/ 3/ 6

酒蔵見学(2月29日)

 

 京都伏見の酒蔵「月の桂」(増田徳兵衛商店)を見学しました。昔ながらの酒造りをベースに新しい形の酒を生んでゆく。濁り酒を日本で最初に販売したのがこの酒造会社。若く素敵な社長に案内していただきました。言葉の端々に歴史が見え隠れし、今は復古種の米作りから取り組んでおられるそうです。

  

蔵の風情(煙突は震災で破損し修復)     三輪明神の杉玉       酒造の神「松尾様」の神棚

「この蔵は先の戦災(鳥羽伏見の戦い)で消失後の建て直しなので新しい(?)のです」と社長の説明

 

杉玉:古来、造り酒屋の看板として杉の葉を束ねて軒先に吊るす風習で、これを“酒琳”(さかばやし)と言うらしい。後に球状に造られたことから「杉玉」という呼ばれるようになったとのことです。

    

   増田徳兵衛商店事務所         植え込みの椿        古い形の杉玉(酒琳)     

 

 蔵一杯に広がる日本酒の甘い香り。古い蔵でありながら、磨きこまれたと表現するほうが適切なほど掃除が隅々まで行き届いていました。杜氏の気概が伝わってきます。

    

   使いこまれた道具       酒の素<麹>と社長         タンクの中のモロミ  

(食べると甘さが広がります)       (いい香りです)        

 

蔵には古酒が20L容器の中で眠ってました。磁器の製造には碍子(ガイシ)の製造メーカに依頼し、今は中国の茶器を製造している所に依頼しているとの事でした。

    

貯蔵している古酒と社長    古酒の容器の栓(和紙で保護)       酒飲み達の試飲  

 

 一番若い濁り酒と、古酒(紹興酒と似た味がしました)を一緒に味わえる幸せは酒蔵ならではの楽しみなのでは・・・と参加の機会を与えてくれた酒好きの諸氏に感謝です。

 

<余談>

一升瓶の状態で貯蔵されている古酒が4000本程あって、それをどうするか社長が思案中とのこと。酒好き諸氏にはそれが何時売り出されるか?に興味が集中していました・・・・

 

 

2004/2/18

鬼の霍乱(というのかどうか 風邪をひきました)

久々に寝込む程の風邪をひいた。動物のインフルエンザが大流行らしいが、私のは体型的には「豚」インフルエンザかもしれない(ーー;)
38度以上の熱になると、夢の中で、夢をみて一向に病気はよくならない。温もると咳が出て、目が覚める。一日何もせずボーっとしてるのが無駄なような気がして、久々に気まぐれ日記に向かうことにした。(頭はぐるんぐるんと回っていて、鼻からは、火が吹きそうな熱い息が出る。)

大事な会議の代理出席を言われたにもかかわらず、それすら対応出来ない。まさに情けない状態にある。決して丈夫ではないが、親譲りの健康過敏症。体調が悪いと、何はともあれ自分中心に行動する。

カミさんはそんな私に大批判。(私だって決してよい体調ではないの!と自己主張する)
今日も、仕事に出かけた。(今、年に一度の大忙しの時期らしい)

そんな、夫婦でも、先日28年目の結婚記念日を迎えた。夫婦も年をとると、空気のような存在になってくる。あまり気にもかけないが無いと死んでしまう。いつも穏やかな空気ならいいが、時々澱んで悪臭も放つし、気圧も下がる。大竜巻もたまに発生する。夫婦とはそんなものかもしれない。
一刻も早いカミさんの帰宅を願って、今日は甘えるのもいいかも・・・

続編>--- 2/20
結局、自宅内隔離状態(居間に布団を持ち込み寝室を別にする。先週は長女が、同じように隔離)で、2日間過ごしたが、熱も下がり、思考もまともに出来るようになったので3日目に出社することにした。
マスク(昨年のサーズ騒動で通販で購入したもの)で完全(?)装備し、ようようと出社するも、部内の視線が冷たい。咳をすると、「菌をばら撒いてる!!」と、女子社員が言う。

年長の同僚から「今 あんたに移されると、組織の機能が低下する。菌を撒き散らす前に、じっくり自宅で直してくれ。特に緊急事態も発生していないし・・・」
管理職の仕事とは、本来こんなものかもしれない。
根っからのずぼらな性格の私には、うれしいのがほとんどで、お言葉に甘えて帰宅することにした。(見回すと本日病気休暇3名)

現在の体調は、とにかく節々が痛いし、腹筋は筋肉痛。
目下の悩みは、定時後に開かれる 部内の定年退職者の送別会出席。
はて出席したものかどうか・・・

 

2004/ 2/11

同総会名簿の管理提案

同窓会の名簿管理方法について、今年の理事会・総会で議論してもらえそうで楽しみだ。

先日の掲示板にも掲載したが、名簿をCDのデータで配布すれば従来の1/4以下に費用節減が出来る。(現に明石高専では、CDで配布されている)

提案1:同総会名簿管理には「名簿ID」と「パスワード」を使う。
「ID」と「パスワード」は、同総会誌配布時に個人宛に送付する。

提案2:同総会名簿はCDで配布し、このCDのデータ開封に「ID」と「パスワード入力」をキーになるようにソフトを組み込む。(ソフト制作は外注する)
データ内容は「検索」のみが可能とし、印刷は画面のハードコピーのみが可能な設定として、一覧印刷は出来ないようにする。(データ転用が困難な方式とする)
検索は、個人検索・クラス検索とし、全体一覧はできないようにする。

提案3:名簿の送付はCD配布を原則とし、印刷物を希望する会員は、同総会誌配布時に同封の「申込み書」返送で「印刷した同総会名簿」を送付する。
(印刷及び郵送に必要な費用は別途請求する)

提案4:名簿の検索は、同総会のHPで、上記「ID」と「パスワード」入力で、検索ページにアクセス可能とする。

提案5:ホームページでのデータ管理(インターネットでの個人データ訂正申告)については、上記「ID」と「パスワード」で可能とする。
したがって、インターネットでのデータベース管理と、名簿管理とは直接リンクするシステムが必要。

 ご意見はこちらの掲示板へ
 

2004/ 2/ 1

神戸で支部総会

今年の支部総会の日程と場所が決まった。
役員会で、神戸の話をしていると案外近くでありながら神戸の事を知らない人が多い。今神戸はファッション都市宣言。
総会で神戸に来てもらえると、いろいろ楽しめる。

新神戸駅から近い「北野」の異人館街。ひとつづつ回るとここだけで1日楽しめる。
港神戸を中心とするなら、「
メリケンパーク」から「モザイク」にかけて。震災メモいリアルパークも含め港の雰囲気を楽しめる。ポートタワー周辺からはいろんな港めぐりの船があり海からの神戸も楽しめる。

メリケンパークからJR元町駅に向かうと「南京町=中華街」があり、元町商店街も楽しめる。大丸裏から東方向の東公園には毎年末に「ルミナリエ」のイルミネーションが飾られる。

三ノ宮駅前の浜側は元町にかけて「そごう」「三ノ宮センター街」と商店街はひしめき合う。駅の山側は夜になると大人の社交場 飲食店が立ち並ぶ。

神戸駅で下車すると、浜側に「ハーバーランド」「モザイク」があり、若者が集う場所になっている。

そのほかポートアイランド・六甲アイランド、新神戸駅前の「オーパ」、山に上がれば六甲山・摩耶山、有馬温泉。西に向かい須磨に行けば、百人一首ににも歌われた須磨浦海岸須磨浦公園から鉢伏山・・・

さらに足を伸ばせば、世界一の「明石海峡大橋」を渡って淡路島-四国。姫路までは新快速で40分で世界文化遺産の「姫路城」へ。もっと西には、「播州赤穂


2004/ 1/17

震災から9年

阪神・淡路大震災が起こって9年になりました。
1・17未明 雪がうっすらと積もった街で、慰霊のイベントが開催されました。
被災地はあたかも復興したように見えます。しかし、いろんな形で今も大きな傷跡が残っています。
あの日・あの時それぞれの心に残った災害への思いを忘れず、支えあい助け合った心を大切にしたいと思います。
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。 合掌

阪神・淡路大震災が起こって今日で9年過ぎた。
年とともにあの時の記憶が薄れてゆくのがつらい。

「ボランティア」に参加する者、復興の仕事に専念する者・・・
それぞれが、「自分に何が出来る」という思いで取り組んだ日々。
街に住み、忘れかけていた「助け合う心」「助け合わなければ生きていけない」そんな心がよみがえったあの時。
この心を忘れない。
私には、そう気持ちを「思い出させる日」になったのかもしれない。

災害に備え、もう一度身の回りを確認して下さい(詳細は震災の教訓-備え-参照)

 

2004/ 1/12

成人の日

今日は、成人の日。二十歳の祝って各地で催し物が開催される。
私の姪が、成人式との事で晴れ着を着て参加したらしい。
というのは、今日は会社の振り替え出勤日で私は仕事。義妹は、私に娘の写真を撮って欲しかったらしいが、そんな理由で今日のカメラマンは私の妻と娘。
妻はデジカメ。娘はかつて私が使っていた6×4.5センチサイズの一眼レフカメラを使いたいと、前日の特訓で使ったようだ。

成人式といえば、私は「成人の日」の式典に出席の案内状をもらった事が無い。
誕生日が2月という事で、旭川に居たときには、成人の日に20歳になった人が対象になっていた。その年の4月に兵庫に就職し、翌年の成人の日には、その年度内に成人になる人が対象で、すでに対象年齢を過ぎていた。

笑い話のようだが、就職してから、この手の不運が付きまとっている。

---例えば次のような具合---
■有給休暇は、前年入社者は2年目から20日間が支給された。
  私の年度から10日から暫時日数が増え、20日間になるのに4年かかった。
■永年勤続表彰時、前年までペアウオッチ。私の年からは表彰状を入れる額縁
■勤続25年のリフレッシュ休暇は、経営不振で1年延期
■管理職になった年に、さっそく給与・ボーナスのカット

この調子で行くと、年金支給も当てにならない・・・・ような気がする。

しかし、人生通算すれば、幸せなのかも知れない。家族にも恵まれ、仕事にも恵まれた。これからは、ちょっとだけ自分のための時間を増やしてみようと思う。

 

2004/ 1/ 1

 新年明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

昨年も、日本経済は低迷し、イラク戦争への自衛隊派兵と 世の中心配なことばかり。
地球温暖化の影響なのか、異常が当たり前であるような、異常気象の連続。世の中不安だらけ・・・・

世直しは西日本から!
ノストラダムスの大予言「1999年地球滅亡」と言われても、まだしたたかに生きている。
しかも昨年は、阪神タイガースの優勝。ダイエーホークスは日本一と西日本のテンションは最高に上がりました。関西の「オバチャン」に代表されるように、太閤さんのお膝元は しぶとさが信条です。

今年は、支部総会の開催される年です。2年毎に支部総会と本部総会を開催しますので、オリンピックのある年が西日本支部総会の開催年になります。
ぜひ「元気の出る同窓会」に参加下さい。

 

謹賀新年

<年末行事>

年末恒例の NHK紅白歌合戦 は白組の圧勝。

その後は、毎年楽しみなのが、テレビ東京をキー局で放送される「ジルベスターコンサート」。カウントダウンの午前0時に演奏を完了させるというもの。今回の指揮者は「小林研一郎」曲目はベルリオーズ作曲の「幻想交響曲 第5楽章」秒針と演目を見ながら、結構スリリングな終了時を楽しめる。
今回も見事な完了。毎年の事ながら関心させられてしまう。

新年明けましておめでとうございます。

普段、クラシック音楽には縁が無い生活だけど、娘の影響(2人とも今も地元の吹奏楽団に在籍)で演奏を聞くようになった。なかなかいいもんです。

<年始行事>

 我が家の新年は、「初日の出に拍手を打つ(といっても今年は私だけ)ことから始まります。その後は、毎年私が雑煮を作る。
家族そろって お神酒と一緒にいただきます。5~6個は平らげた胃袋も、年とともに許容量が減り、せいぜい2個まで。

<雑煮のこと>
よく、雑煮の話になると、「すまし汁?それとも白味噌?」と聞かれるが、我が家は豚汁(?)仕立てである。
作り方は「豚肉を、たまねぎと一緒に炒め、湯を加えて 酒・みりん・醤油で味付けする」だけの簡単なもの。あぶった餅を入れ、刻みネギと唐辛子で味を調えます。

-豚汁雑煮の由来-
北海道の水呑百姓の家では、肉と言えば卵を産まなくなった鳥肉であり、金を出さなけれが口に出来ない豚肉は高級食材でありました(食材は畑から入手できるもの)。
春に生まれた豚を一年かけて太らせ、隣近所が協力して年末に解体(資格のない屠殺行為は違法です・・・)し、得られた豚肉は、まさに正月ならではの食材でした。

<餅のこと>
餅と言えば、年末に近所から搗きたての餅をいただいた。この雑煮に入れるため、いただいた餅と、市販の餅を一緒にあぶっているとふと気が付いた。
杵搗きの餅はプゥーッと膨らんでくるが、市販の餅は一向に膨らまないのである。
 私の推論では、餅の中に含まれている空気に影響があると判断した。杵搗きの餅は、その過程でたくさんの空気を含ませる。一方機械で搗いた餅は、振動を加えて餅にしてしまうので、空気が排出されてしまう。したがって、加熱しても膨らまない餅が出来上がる。
 味はどうかと問われると、どちらもうまい。ただ、膨らんだ餅のほうが心なしか柔らかく、おいしいように感じた。

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