気まぐれ日記

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 cherry04_1.gif<おことわり>

このページは、過去のトップ記事を集め、適当に再編集したものと、管理者の気まぐれでその時々のぼやきを主にした殴り書きと理解してください。
したがって、管理者の独断と偏見で作られたページであります。

                                                 (2003/08/30 5M 福井 勇)

 

 

2016/01/01

  デジタル時代

2013/01/03

星空撮影

2013/04/14

オーロラツアー

2012/11/12

おのぼりさん

2012/08/16

体験・大渋滞

2012/04/11

パソコンのダウン

2012/01/20

雪の旭川

2012/01/01

年末・年始

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2016/01/01

 デジタル時代

 ここに、記事を書かなくなって3年もたっていた。何をしていたか。
実はデジカメによるRAW現像にのめりこみ、その画像はフェースブックで、頻繁にデジタル画像をアップしていました。(深く反省)

 20代の頃、銀塩フィルムそれもモノクロで、自家現像で写真を作っていた時期があった。カラーフィルムは高価で、なおかつ特殊な環境が必要で自分で直接調整する事など皆無に近かった。今はデジタル時代。デジカメとパソコンがあると、簡単に自分で色の調整が出来てしまう。

 そんな環境で、出会った星空の写真。風景と星空を一緒に撮影する「星景写真」、星空だけを撮影する「星野写真」、星や星雲を撮影する「天体写真」とジャンル分けはされているが、基本は星の淡い光を長時間露光で集めそれを目に見える色にしていく。この作業をRAW(ロウ)ファイルと称する、カメラで撮ったままの生データを、画像処理ソフトで、調整していく。フィルム時代の現像処理と良く似てるので、RAW(ロウ)現像と呼ばれている。
 ホワイトバランス、トーン調整、明るさ、色調整と、レタッチ(修正)作業をすると、ほとんど何でも可能な世界。

 私の場合には、星の淡い光を集めて色だししていく作業がほとんど。


 気が付いたら、ボディ2台、交換レンズが5本、
簡易赤道儀まで購入してしまった。

右上の写真は、年末に撮影した、オリオン座を中心に、冬のダイアモンドと呼ばれる恒星を撮ったもの。露光時間が約2分を恒星の移動に追尾して撮影したもの。ソフトフィルターで、星を強調した。

左の2枚の写真は、マクロレンズで、早朝のあぜ道の草についた霜が朝日に輝いているのを撮影した。

右下は逆光の条件で、つぶれてしまうシャドー部分を引き上げ、太陽のハイライトを抑えて、全体をバランスさせてみた。

2014/01/03

星空撮影

 昨年5月に下の娘が結婚した。ある日、「お父さん、デジカメ1眼レフ買いたいんだけど何がいい?」との質問。結婚して落ち着き、旦那の許可がおりたらしい。
「何撮るん?予定の機種は?」 娘「花とか、星空とか・・・。キャノンでめちゃ軽いのがあるけどどうかな?」 そういえば子どもの頃星が大好きで、天文学者になると言っていた記憶がある。
 エントリー機で、星空を写すに最適な機種探し。
 マニアックな私は、カタログ、口コミで調べると、PENTAXにオプションでGPSをつけると、アストロトレーサなるシステムがあって、GPSの位置・方角のデータから、ボディについている振止機構を使って、星の動きに追従させる機能らしい。赤道儀を使っての撮影は面倒だし、これを薦めた。(40年前からPENTAXを愛用)

 やがて、「オトウ!天の川撮れた!」と写真を見せつけられる。
 天の川が、こんなにカラフルとは知らなかった。

俄然、俺も撮りたいと躍起になり、暗闇の確保出来る場所(実は娘と同じ場所)で夜中にごそごそと支度をして出かけた。暗闇のなか、鹿には出くわす。へっぴり腰で撮影していたら、老年の三脚は締め付けが甘く、地上1.5mからカメラもろとも横倒し。カメラは、一向に動かない。
あきらめて帰宅すると何故かほとんどの機能は復活したが不具合箇所が数か所。この時から新ボディの物色が始まった。

 10月の同窓会の後、丸瀬布に住む姉の家の裏で、ご臨終間近のカメラで天の川に挑戦。(右上の写真)
なんとか撮れたけど、画質がもうひとつで、調べると機種が古く画素数が少ない、感度上げすぎでノイズがたっぷりのせいと判明。

 となれば、いよいよ新ボディの物色 PENTAXはK-3とメーカーハイエンド機種を発表。口コミでは、フジフィルムXシリーズの発色・画質はフルサイズ1眼並でプロがベタほめ。いずれも発表直後で一向に根が下がらない。迷いに迷った末に、「デジカメは撮影素子が命」と判断基準を変え、X-E2を購入。早速、近所の比較的光の少ない池のほとりで撮影。画質はさすがだが、画像処理の勉強が必要だ。山の上なら、もっと星が見えるはず。

 ペンタックスのワイドズームに機種変換アダプタをつけて撮影したら、無限大にピントが来ない。

 左中:北の空から天頂へかけての写真 画面中ほどにカシオペアと木の上に北極星
 右下:南の空 オリオン座と大犬座。オリオンの左、ひときわ明るいのは木星。オリオンの上には昴が見える

2013/04/14

オーロラツアー

約50年前、小学生の時に冬のオホーツク海が真っ赤に染まった。その夜、消防署のサイレンが鳴り響き、まるで海が燃えているようだった。翌日のニュースでそれがオーロラだった事を知る。
図鑑を見ると、夜空のカーテンの絵があった。
いつか、この光輝くカーテンを見たいと思って50年。ようやく念願をかなえる事が出来た。

■初日■

3月16日19時発 期待に胸を躍らせ、関空からのJALチャーター便で、一路アラスカ/フェアバンクスへ・・・

機内は、同じツアーの参加者で満席。機内食が2食出て、眠ったのかどうかよくわからないまま、同じ日の朝8時過ぎにフェアバンクス到着。(タイムマシンではなく日付変更線の通過で1日戻る)

入国手続きのため、空港内ロビーで2時間ほど待たされる。ようやく、入国審査が終わり、グループ毎にバスに乗り込む。この日はフェアバンクスの市内観光を(アラスカ大学の博物館、パイプライン見学)終え、最初の宿泊地のチェナリゾートに向かう。

ホテルの食事は、さすがアメリカ 大雑把な料理に、歯にしみるほどの甘いデザートにやたら薄いコーヒー。

オーロラの出方、撮影の注意事項(寒冷のため、部屋に入る時、カメラの結露対策を怠ると、カメラがアウトになる)を聞き、夜の11時頃部屋を出る。

■深夜のチェナリゾート(オーロラ爆発の体験)■

「出てきた!」の声に、待機場所から、ぞろぞろとカメラを持って皆が現れる。
これを目的に、約2百数十名の日本人が飛行機を仕立ててやってきた。(この場所にはバス2台約60名)


上空にうっすらと 白いカーテンが浮かびあがる。周囲にシャッター音がなり始める。

やがて、青白いカーテンがゆらぎはじめる。

 次第に輝きを増し、カーテンが色彩を変え、形の変化も激しさをます。
 周囲から 歓声が上がる。

 東の空から、西へ、幾重もの光の帯が、広がり、走り、輝き、踊る。はじけるピンクの光。周囲から歓声と拍手が沸き起こる!
 感動と寒さで涙が出てくる。夢中で、シャッターを押す。

 撮影に失敗した人は、空に集中して 心のカメラに焼き付ける。

この日は、今シーズン最大の「オーロラ爆発」が起こった日だった。

 時間の経つのを忘れ、やがて光のショーが精細を欠くようになると、寒さの意識が戻ってきた。
贅沢な観客は、出始めの頃と同じの、淡く白いカーテンに見向きもせず、暖を取りに待機場所の部屋に戻る。
部屋の中では、先程の興奮と、撮影結果の披露に話が弾む

■2日目■

 前夜の興奮が覚めない朝。巨大なハンバーガーと、サラダのブランチをとって、めいめいがオプションの犬ぞりやら、温泉を楽しみ夜を待つ。巨大な雪だるまやらリスが歓迎してくれていた。

  

夜はオプションで、雪上車に乗って山頂に上がる者、下で温泉半分で楽しむものに別れ、オーロラを待つ。

 この夜は、肉眼ではっきり見える程のオーロラは出ず、カメラで確認できたものがわずか。
 前夜が、今シーズン最大の「大爆発」だっただけに、オーロラ見学ツアーの現実を突きつけられた。
 前日の 奇跡的なオーロラを見られた幸運に感謝した。

■3日目■

チェナリゾートからフェアバンクスに移動し、昼は近くのマーケットに土産物散策。アラスカの地ビール「アンバー」を仕入れて酒盛りを画策する者もあった。

 この夜はフェアバンクス近郊の丘の上で、グループ2組(約60名)がオーロラを待つ。
夜の10時過ぎから2時頃まで待つが、この日も前日同様肉眼での確認は出来ず、落胆の空気が広がった。

月明かりがあり、星の瞬きがあまりにもきれいだったので、この明かりだけで、記念写真を撮ることにした。
同じ姿勢で30秒間固まるのだ。おかげで、同行の人達に笑顔が戻った。

 

肉眼では「白くぼんやりしたもの」がカメラで撮ると、淡い虹色が写った。漆黒の夜空に瞬く星そしてほのかなオーロラ。
明るさとコントラストを調整してみたら、大好きな画像になった。

■4日目■

昼は、アラスカ最後の日 カミさんが奮発して「マッキンリー遊覧飛行」を予約してくれた。朝から快晴。10人乗り双発、パイパー・ナバホに乗って広大なアラスカ、雄大なマッキンリーを空から堪能した。

  

オーロラ見学も今夜が最後。せめてもう一度あの感動をとの思いで現地に向かう。
途中 、フェアバンクスでも人気のステーキレストラン「Turtle Club」での夕食。巨大なリブステーキを平らげ、近郊のスキー場に到着する。

山頂だけあって、風が刺すように痛い。カメラのバッテリーが、瞬く間に低下する。カメラにマフラーやらカイロを貼り付けたがこの日は殆ど効かなかった。

幸い、この日は弱いながらも待望のオーロラが出現し、昨日の記念撮影で学習した手法でオーロラをバックに、皆で記念撮影が出来た。 

  

ホテルに帰り、ツアーで貸してくれた(オレンジ軍団?の)防寒着をパッキングし、膨大な土産物をスーツケースに詰め、慌ただしく帰り仕度をして、ベッドに入ったのは4時前。7時に目覚ましをセットしても、寝付けない。結局しっかり寝られたのは2時間程だろうか。

■5日目■

ホテルの朝食をとり、残りのドルで最後の土産を漁る。9時出発のバスでフェアバンクス空港に向かう。出国手続とチェックイン手続きを済ませ、出発ロビーは、チャーター便に乗る日本人が占領していた。機体は、広島からのツアー客を乗せてきたもので、また、新たなオーロラ体験をするのだろう。4日間のチャンスで、見えることを祈ろう。

帰路は約9時間で、関空に到着する。出発が20日の12時半⇒到着が21日の14時半 なので、単純な計算をすると26時間??

日がたつにつれ、日増しに もう一度見たいという思いが強くなる。数年先、旅費を貯めてまた行きたい。

 

2012/11/12

おのぼりさん

 先日の東京総会に参加するため、久々に上京した。数年ぶりの東京に、田舎もんは戸惑い、感心・感激して帰ってきた。

<その1:東京スカイツリー>
  東京に出たなら、まずは世界一をみるべしと、早朝の飛行機で羽田に着き、モノレール→山手線→銀座線と乗り継いで「浅草」駅に到着。事前の調査で「吾妻橋」がよいとの情報で、駅の案内に従って、地上に出る。見渡すと一面の観光客。人の流れで行かないのが天邪鬼な私。
 隅田川公園を東京スカイツリーの見える場所を探して、どんどん歩く。するとススキ越しになかなか風情のあるツリーが見えた(右)。

  さらにどんどん歩き「言問橋」まで行くと、橋の正面に東京スカイツリーが見える。せっかくだから、橋の街灯をスカイツリーより大きく写し、逆光で太陽と街灯を重ねてみた。(左)

  ようやくたどり着いて、エスカレータで4階に上がり、真下から見上げるスカイツリーは圧倒的な迫力があった。さすが世界一!
 職業病が出て、鉄骨の溶接を見ると、ほとんどが鋼管の現場溶接。 膨大な溶接量に、工事を支えた溶接工の努力が見えてきて感動!

 展望台に上がろうと、整理券をもらう行列に加わったが、待ち時間1時間半と聞き、それからのエレベータ前の行列を考え、展望台は断念した(理事会に間に合わない)。

  帰り道は、後ろを振り返りながら撮影ポイントを物色。公園を駆けながら 「見えた!見えない!」と言っている小学生の兄弟を発見。 見えたのはビルに映った金色のスカイツリー(右)
小学生の目線に感動!

  吾妻橋を渡って、ふりだしに戻り、アサヒビールのビルの上の「金色のうんこ」と並ぶ隅田川の新名所に別れを告げた。

 

<その2:霞が関ビル>
 東京総会の会場は、霞が関ビルの35階。一世を風靡した「超高層ビル」で「プロジェクト-X」にも取り上げられた。当時、様々なTVドラマの背景になった。 我々1桁卒業生にとって思い出のビルである。今はその高さも色あせ、東京タワーとともに、過去のものと感慨もひとしお。

<その3:東京駅>
 翌日は、リニューアルされた東京駅に行ってみた。再現ドームと、再現赤レンガは、やはり新しい東京名物になるのだろう。

 朝早かったので、人は少なかったが、全容がみたいと、皇居方面に歩いてみた。駅舎の全長を写したら、地下街の排気塔が邪魔で結局両端は写らなかった。(結構ワイドなレンズだったが、さらに画角の広いレンズが要りそうだ)

  ドームの真下に行って、見上げる空間はどこか「懐かしい」感じのする、優しい空間だった。

<その4:ボーイング787> 
今回は、移動の手段に飛行機を選んだ。
胴体の製造に関わったボーイング787に搭乗するためだ。羽田-伊丹の短い区間だが、新しい飛行機に乗れる幸せをかみしめた。

 ネットでは、搭乗の口コミが沢山あって、ほぼ同じようなものだが、実際乗って感じたのはその静かさ。
 選んだ座席は19列目。主翼前の前部胴体部は、川崎重工が担当した部位で、真横にエンジンが見える。(右)
 普通、エンジン横は騒音が大きいのだか、この飛行機は機内アナウンスが響きすぎと思うくらい静かだった。 残念ながら、噂のトイレ(シャワートイレ)は気流状態が悪く、利用する機会はなかった。
 私の席は、国内線の一般席だったので、座席間隔が狭いと感じたが、国際線では間隔設定は違うと思う。ワイドボデイの3+3+3で、高い天井と大きな窓、機体の剛性も高く、実にいい飛行機だと思った。
 生産をしている知り合いに、搭乗したこと、その感想を話したら、「製造の関係者として嬉しい」と素直に喜んでくれた。胴体部の生産はすでに100機を越え、今新たに胴体の長い機体(-9:ダッシュナイン)の生産に入っている。

 

2012/08/16

 体験・大渋滞

 先日の名古屋で開催した役員会の帰り、帰省ラッシュ(道路の大渋滞)を体験した。

 普段なら、この時期の移動はできるだけ避けて行動するが、今回の役員会は前日までの工事管理と、当日下請けとの見積打合せがあり、会社のライトバンを使って移動した。
 ライトバンは、ヘルメット・安全靴・安全帯は当然、工具・道具を常設で積んでいる車。会社から現場までは、約250kmで、新名神を利用すると、通常3時間弱の距離にある。
いつもはだいたい2人で行動するが、今回に限り私一人で
の出張になった。

 役員会が終わり、名古屋駅前駐車場の出発時に、ニュースとナビで道路状況を確認すると、高速道路は、名古屋市内から中国自動車道までほとんど全域で渋滞しているとの情報。
 愛知西部は若干土地勘もあったので、一般道を四日市まで抜ければ、少しはましと判断したのが運のつき。1号線・23号線の幹線はべったりつかえて、脇道を走っても木曽川の橋を渡る幹線に戻る道がまったく動かない。愛知県を抜け、三重県まで到達するのに2時間。「桑名」から東名阪自動車道に乗って、「四日市」に辿りつくのに合計3時間かかった。そこから「亀山JC」経由で新名神「土山サービスエリア」に着いたのが、出発から4時間。(画像は土山SA)

 新名神の道路情報では「草津JC」から名神高速で「吹田JC」まで3時間以上の表示。西に向かう下り線が混雑するのだからと、「京滋バイパス」の途中「久御山JC」から「第2京阪」を南下し、「門真」から「近畿道」経由で「吹田JC」に戻った。
 「中国自動車道」でまた渋滞(西宮名塩SAに入る渋滞)。この渋滞を抜け阪神高速「北神戸線」経由で帰宅した。延々7時間半。途中雨模様(近畿道~吹田JCまでは大雨)で、少し涼しかったのが救いだった。

 困ったのは「トイレ」。車に乗るからと役員会で「ウーロン茶」を飲みすぎ、眠気防止の「コーヒー」が災いした。コーヒーの利尿作用と、年齢のせいもあって、トイレに行きたいと思いだすと我慢が出来なくなる。 渋滞の中、途中停止して「ちょっと小便!」というわけにもいかないし・・・。なんとかチビらずに持ちこたえた。しかし、高速道路のパーキングの少なさは身にしみた。

 ただただ感心するのは、毎年・毎年車で帰省される方々のパワーと根気。後日のTV番組では京都/桂川SAから西宮/名塩SAまで4時間だったとか・・・。(京滋バイパスは大正解)

今度の週末、工事のため、愛知県の現場に移動する連中には前泊を指示した。

 

2012/04/11

パソコンのダウン

5年間使っていた、パソコンが突然ダウンしたと!会社にカミさんから電話があった。全くなんの前触れもなく・・・。ディスプレイの接続だろうと高をくくったが、やっぱり動かない。
急きょ近くの「ケーズデンキ」に走ったが、使い慣れた、「ウィンドウズ XP」の搭載したパソコンは店頭に無く、なんだかよくわからない「ウィンドウズ-7」の機種を購入することになった。

とりあえず、ネットとメールがつながり、オフィスも動作したが、外付けのハードディスクにバックアップを取っていたつもりのメールのアドレスが読み込めない。困ったもんだ。
本体のハードディスクから探しまわって、吸い上げる必要が出てきた。

しばらく、パソコンに遊ばれるようだ。この クソ忙しい時に・・・

6月中現在、まだ悪戦苦闘! 一番深刻なのが、HP作成ソフトがまともに動かないのだ
今度はうまくいくだろうか?

 

2012/01/20

雪の旭川

 久々に、冬の旭川に行ってきた。目的は求人。自分の後継者がほしいと、母校に挨拶に出向いた。対象は、来年4月の新卒者。4年の2月から3月でほぼ内定するらしい。
 北海道は、神戸-新千歳の便で到着したが、空港も札幌界隈もいい天気。ところが、岩見沢あたりが豪雪で、列車も線路も雪まみれの状態で、雪ののトンネルを走っているような気分。積もった雪で脱線しないのかと不安になる程だった。ところが
、深川を過ぎると、きらきらの雪景色で、無事旭川に到着。降りた旭川の駅は様変わりして、タクシー乗り場が判らない。駅員が一生懸命除雪した道を過ぎて、昔のタクシー乗り場がそのままあった。

 高専への道は、すっかり様変わりした場所もあれば、昔ながらの場所もあり、冬の旭川は新婚旅行以来かもしれない。構内は女子学生が目立ち、さわやかに挨拶をしてくれて、オジサンはうきうきしてしまった。 
 (右の写真は、校門前のバス停から撮影)

夜は、友人と居酒屋で晩飯。冷房(?)の良く効いた席ですっかり冷え切り、ホテルまでの寒い事。歯をガチガチならして、ようやくホテルにたどり着いた。
テルは、天然温泉の大浴場が売りの「パコ旭川」 部屋のベッドも広く、暖房もよし。なかなかいい湯だった。

 翌朝、買い物公園(平和通)を通って、旭橋まで歩いていった。昔のアーケードは無くなり、道はロードヒーティング。ところが、過剰加熱したところは、歩道が水たまり。その深さも結構あって、長靴でないとびしょぬれになる。短いあしで、エイヤッと跳ぶと、着地場所でツルリ!なんとか転ばずに持ちこたえたが、考えさせられた。

 ようやく旭橋に着くと、河川敷では自衛隊が「旭川・冬まつり」の会場づくりの真っ最中。昔は常盤公園で開催していたが・・・・
寒風の中、作業する部隊、交代で暖を取る部隊。自衛隊が無いと、冬もイベントもままなりませんと、昨日のタクシードライバーが話をしていた。

あっちこっちとふらふらしながら、学生時代に通った「コーヒースタンド」によって、昔話に花が咲いた。店の娘さんが、私が神居古潭で結婚指輪を無くした事をしっかり覚えていて、ドジなお兄さんの記憶が刷り込まれていたようだ。
(ちなみに、この指輪は、旭川の友人夫婦が雪解け時期の毎週末に神居古潭に通いつめて、探しあててくれ、今も私の左薬指に光っている・・・友情に感謝)

寒さも懐かしさのアイテムだったが、この中で生活するのは、やはり大変だった事を思い出す。
・氷点下30度を超えた朝、ヤッケを着込んでも布団の中で震えていた事
・部屋のやかんが全部凍りつき、反射型の石油ストーブの火が寒さでだんだん小さくなっていったので、一部屋にストーブを持ち寄って暖をとった事
・風呂屋の帰り、洗い髪が凍って真っ白になった事
・風呂上りに冷やしたサイダーを飲もうと、窓の外につるしたら、ポンと音がして、雪のうえにサイダーの花が咲いた事・・・

 

2012/01/01

年末・年始

 昨年に引き続き、今年も城崎温泉に1泊した。旅行会社の陰謀か、昨年の宿は予約がいっぱいで今年はその隣の旅館になった。こうも違うのかというのを見せつけられたような気がして、料理×、接客×で、あまりの悪さにあきらめより、開き直って笑ってしまうような心境。旅館とは、「故郷に帰ってくつろぐような心地よさ」を求めて泊まるような気がする。ある意味では、仲居の接客は、実家に帰って些細なことは気にしない大雑把な環境を再現してくれたのかもしれない。
 昨年の宿が良すぎたので、これが昔風の普通の旅館なのかもしれない。確かにこの夜は、温泉効果もあるだろうが、ぐっすり眠れた。ただし、やっぱり朝食も含め、食事には不満が残る・・・
 前日までの雪も止み、道は快適に走行できた。

翌日(31日)は、昼食の「出石そば」まで時間があったので、「兵庫県立コウノトリの郷公園(年末休館中)」に立ち寄る。上空を悠然と飛翔する、コウノトリを見て感動し、おろしたてのデジカメに「望遠を買う金が無い豆粒大にしか写らん」と嘆く娘。孫は、そりに乗って大騒ぎ。
 雪を見てはしゃぐのは、道産子のDNAなのか・・・

 紅白歌合戦を見て、新年を迎える。
 翌朝(元旦)は、私が「雑煮」をつくる。田舎で、貧乏人の御馳走だった豚肉と玉ねぎで汁をつくり、これに餅を放り込んだ簡単雑煮だが、なぜか家族に好評で、毎年私が作る。

 正月は、毎年我が家で、カミさんの兄弟家族が集まって、鍋大会が開催されるが、今年は、神戸のホテルで妹一家と正月の食事を囲む。妹の息子(甥)が入籍し彼女と一緒に参加した。我が娘といつも残飯処理部隊をしていた頃の小太りした面影は無く、精悍な若者に変身していた。
3日頃には、また我が家の庭で、「焼き蟹」パーティになるのだろう。

 ホテルの催しもので「ビンゴ大会」が開かれたが、ビンゴ寸前のところで景品が無くなり大会終了。
不完全燃焼のまま帰宅する事になったので、明日もう一度、今度はホテルを変え、別のタレントが司会するビンゴ大会に行くらしい。初売り、福袋と主婦の財布は一気に緩む・・・これが日本経済を支えるのだから、もっと消費を増やせば景気は回復するのだ。と、やけくそで「社会貢献宣言!」

5日から、新年の業務が始まる。1昨年前の夏から実施していた、ボーイング787関連の胴体組立・艤装作業用足場は年末にほぼ完了した。これで、新工場での増産体制が整った。
私が関わった作業足場の写った写真が、PR誌に掲載されている。興味のある方は見てほしい。
Kawasaki Newsという広報誌の1ページ目の見開きの写真(組立ステージ)と、3ページの右下の胴体と一緒に写っている水色の足場(ファイナルステージ)がそれだ。これからまたこの足場の延長の計画があり、しばらく忙しい日が続きそうだ。

http://www.khi.co.jp/knews/backnumber/bn_2011/pdf/news164_01.pdf

 

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