市川さんから1
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2M 市川さん(横浜在住)から福井宛に届いたメールです

02M市川さんより、時々激励のメールが届きます。

リタイヤされたとお聞きしていたので、リタイヤ後の生活設計やら、サラリーマン生活の回顧等で寄稿をお願いしていたところ、先日小生宛のメールが届きましたので本人のご了解をいただき掲載します。

05M34 福井

05M福井くんへ   (02M市川in横浜です)

横浜も少し秋らしくなり、8月の猛暑に比べて、最低・最高ともに5度くらい下がり、 過ごしやすくなりました。

いつも、福井くんがHPのトップに載せている写真のすばらしさに感服しています。先 日の「地蔵盆」は夕焼けがすごく良く撮れていましたね。また本日載っていた「旭川 の朝」は雄大さが出ており懐かしいですね。

福井くんがHPに載せた全国総会(in旭川 '05.9/17)参加の速報記事も読みました。05 同期の仲間との久しぶりの交流の様子が、生き生きと書かれていますね。遠路はるば る(自費で)参加した甲斐がありましたね。

今週24(土)の支部役員会(兼:全国総会参加報告会)は、久しぶりの旭川の話で盛り上 がるでしょう。02同期の堤くんは欠席ということですが、支部長の西原くん、そして 大森くんによろしく。

さて話が飛びますが、以前話したように、私は思うところがあり昨年9月に(定年前で したが)、サラリーマン生活に終止符を打ち、閑人生活を始めました。今月でちょう ど1年経ちます。

閑人になったらやろうと思っていた宿題の一つに「8年前('97年)に他界した親父の形 見の日本刀」の出所調査がありました。

私はもちろん戦後生まれですが、私の両親や兄姉は終戦の数ヶ月前まで広島県の呉に 住んでいました(私は5人兄弟の一番下で、道産子は私だけです)。

呉にいる頃、親父 は日本刀に興味をもち昔の武士の刀を集めていましたが、自分のために打った刀がほ しくなり、昭和15〜16年頃、京都の立命館大学にあった「立命館 日本刀鍛錬所」と いう研究所の所長で刀工の 櫻井正幸さん に一振り注文したようです。

私が形見とし てもらった日本刀の柄(正確にいえば「茎(なかご)」)には「京都立命館 正幸」の銘 が彫ってあり、白鞘には「市川一君(私の親父)の為に櫻井正幸が打った」旨の墨の鞘 書きが残っています。

これらを写真に撮り親父から聞いていた話も書いて、立命館大 学へ送り確認してもらった結果、間違いない事が分かりました。

これで宿題が一つ終 わりました。(ということで、この日本刀は昔の武士が腰に差していた刀ではなく、 明治以降になって作った「現代刀」に分類されますが、寸法は昔の武士が差していた 刀と同じく刃長約69cm(重さ約800g)あります。

昔の武士は、このほかに脇差と呼ぶ小 刀も差して歩いていたわけで、昔の武士は大変でしたね) 

私がもらってから全く手 入れをしていなかったので、先日東京の刀剣商に預けて手入れをしてもらいました。 刀剣商から手入れ用具をもらったので、今後は半年に1回くらい、私が自分で手入れ (錆防止の油引き)をするつもりです。

参考まで写真を添付します。 イマイチ鮮明ではないですが、我慢してください。
作ってから既に65年経っているの で、白鞘は白から薄茶色に変色し、さらに上に書かれている墨の鞘書きも鮮明さが落 ちています。

ではまた・・・

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市川 (^0_0^) (in 横浜・大口)

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