[講演内容]
旭川高専同窓会 全国総会 記念講演 (於 ホテル京阪京都、 2002年9月21日)
「生涯現役の秘訣−中高年の健康管理」 本間 實 先生
今日は卒業以来初めて会った人もいて本当に懐かしいし、すっかり貫禄がついて声を掛けられてああお前かとはじめて気がつく人もいた。(爆笑)あらためてこのような機会を与えてくれて感謝しています。同窓会というと、俺お前の間柄にタイムスリップして、旭川高専という共通の核の中にくくられている、年代こそ違えキャンバスをともにした連帯感などを共通してもち合わせる仲間であり、こういう集まりは貴重だとおもいます。
人間は青年期の経験・環境に大きく影響を受けるものです。人生の半分以上を旭川高専で過ごさせてもらった。原田順平先生など卓越した上司、教職員の方々に支えられ、何よりもすばらしい教え子に恵まれた。それが今日の存在につながっているとおもっています。私の教員生活での哲学は、出会いを大事にという思いでずっとやってきまして、年賀状はほとんどが卒業生です。卒業式のときに中尾君がいつもくるんですが、彼の自愛に満ちた話をきいて、血は水より濃しという言葉をいつも感じています。
旭川の街、メリハリの聞いた四季が好きです。特に旭川の冬というのが、サハリン出身の私としては寒さというのが魂の里帰りのようなものでうきうきとしてくる。旭川高専の生んだ女流歌人である岡しのぶさんが、「もし君と会えなければ」という本の中でこんな詩を歌っています。「あう人のみな優しくて牛乳のような雪振る君の住む街」、いとしい人の住んでいる旭川を牛乳のような白さにかさねて歌った非常に感性の野鋭い詩ですが、私はこの冬の景色が本当に好きなんです。気温がマイナス20度くらいになってダイアモンドダストのすばらしさ、静寂さ、雪を踏みしめるキュッキュといういう音はどんなオーケストラにも勝りますし、また石狩川の川岸で歩くスキーをしていると川霧がボーっとたちこめ、遠い昔の人を想いだしたり(爆笑)して、本当に心から旭川の街がすきです。季節限定のぜいたく品とも言うべき旭川で、そういう厳しい寒さの中で旭川高専の卒業生が培われた風土のなかで、このような詩もできたのではないかと思います。
学生時代が大きな影響を与えた例としては古今東西に多くありまして、よく話す例として1814年のワーテルローの戦いで、ウェリントン将軍がナポレオンに打ち勝ったのですが、そのときにウェリントンが言った言葉というのが非常に印象的です。 The
battle of Waterloo was won by playing field of Eton. とつぶやいたそうですが、実は彼はクリケットをやっていまして自分が今日あるのもその激しい練習のなかで培われたと思ったのだと思います。皆さんもやがて旭川高専によって培われたと思えるよう人生をぜひおくっていただきたいと思います。
プロジェクトXという番組が大変好きでよくみています。日本人はオリジナリティーがないといわれますが、日本人の技術水準の高さ、発想の豊かさを感じずにはいられません。特にすきなのは膳場貴子(ぜんば・たかこ)というアナウンサーです。また、田口トモロヲ(たぐち・ともろを)の語り、これがとてもいいですね。中島みゆきの「地上の星」もドラマを引き立てています。あれを見るたびに、旭川高専の卒業生も一線の技術者としてああいう風にやっているんだなあと、感慨を新たにすることがあります。私の目の黒いうちに願っていることが二つあって、甲子園で旭川高専の校歌を聞くことと、プロジェクトXの画面に旭川高専の卒業生が一回出てこないかな、ということです。
私はパソコンはぜんぜんできないのですが、できない理由は説明書の意味がわからないです。この間、一番手っ取り早いパソコンのわかり方という本を立ち読みしていたら、この本を読むよりもよく詳しい人に聞きなさいと、書いてありました。(爆笑) ほとんどがカタカナ英語なので、日本語に変換するものが開発されたら大変ありがたいと思いますし、先日東芝のワープロの開発物語が出ましたように、日本科学技術賞とかプロジェクトXに出るとかできるとおもいます。
話を本題に戻しますと、私は今年で70歳になります。いわゆる昔でいう古希というのは、杜甫の人生50年の時代に70歳まで生きるのは大変なことなりと歌ったことに由来するといわれます。現在でも、教育大の旭川校と、旭川医大で非常勤講師として体育実技を教えています。教育大学では、体育スポーツ経営管理学をおしえていますが、クラブ運営、プログラム作成、管理などにどう経営学的な手法を取り入れるかというのが主眼です。最近は、IT経営などがいろいろ入ってきて、そろそろ身を引こうと思っても基礎だけでいいからと、請われて毎週がんばっています。
そういう中で、旭川医大に看護学科ができまして、女性だけの体育もあります。今は選択になりましたが一時は60名くらいを体育館に集めての授業でとても楽しいものでした。教育大学では、教員志望の女子学生が多くなって40名のうち半分が女子学生で楽しく授業をさせてもらっています。そこで、一番困るのがセクハラの問題で、スキーの実技で斜滑降の「くの字」フォームを教えるのに、いちいち断りを入れて肩を触るとか、ストックを使って体勢を直すとか、(爆笑) 学生はあっけらかんとしていますが、なかなかやりづらいものです。昔であれば、電気の担任を受け持っていた頃は、女子学生が弁当を持って開けっ放しにした教官室へ気楽に入ってきたものでした。
教育大学である学生が、「先生教え子と結婚したのですが、それはセクハラでないのか。」と言われました。向かっときましたが、恥を忍んでいきさつを話したら、水を打ったよう静かになって、あとなって後で学生がきてあやまりに来たので私もすくわれました。いきさつを話してもいいのだけれど、時間がないので。。。。(爆笑) ま、話しましょう。
実は私は、士別高校で三年三組を教えていまして、タンポポとか蓮華の花が咲いていてそれを摘んでいるセーラー服の女の子がいて、何気なく近寄っていくと「先生、はーい」といって蓮華をくれた女の子がいました。私は何気なく、「われに蓮華をあたえしは。。。」というと、彼女はすかさず、「人恋そめしはじめなり。。。」とこたえたものでした。これは藤村の「初恋」の二番目にあるのですが、藤村を知っていたということにものすごく感激し、そのことが強く印象に残りました。その後、彼女が学校に勤めることになり、私の札幌転勤に一緒につれていくべく猛烈にアタックしたものでした。このようないきさつを先ほどの学生に話しました。
若さの秘訣はなにか、(女性に関する人生哲学の紹介) −− 省略
前置きが長くなりほとんど時間がなくなりました、(爆笑)現代はスポーツに二つのキーワードがある、と思います。それは、 @自然との共存 A感性の追及 自然との共存は、ヨハネスブルグでの環境会議など、エコロジー問題が世界的に関心が高まる中、スポーツに一番影響するのはオリンピックです。シドニーではグリーンピースが抗議活動をしたし、デンバーでは冬季オリンピックを返上しました。冬季オリンピックの問題は、普段行わない競技のためにあらためて山林を削ったりすることが必要で、それをあえて実行するかということです。一番典型的な例は、長野の滑降競技です。プレオリンピックでの滑降競技の距離は1680mでしたが、記録は1分30秒くらいで 日本の選手も外国の選手も差が出なかった、ということがありました。FISでは競技性を追及するのか、自然保護を優先するのか、大変な論争になりました。NAOCは最後まで抵抗しましたが、結局は1780mで妥協しました。というのも、競技では最後の100−150mが勝負を決するというのが一流選手の言い分で、つまり技術と体力の差はそこから出てくる1分45秒でないと差が出てこない、という主張で、競技性か自然保護かで議論になった事例といえます。
感性の追及とはどういうことか。バブルの頃にはやったスポーツは、ゴルフ・テニス・スキーでしたが、今では本当に少なくなりました。いまは、3Sといわれて、 Surfing Snow
Board Skate Board これらに共通するのは、対自然ではなく感性を追及する、競技スポーツの結果追及ではではなくて、快楽とか過程追求型ということでしょう。
これからのスポーツは、競技思考型、健康志向型、レクレーション、社交志向型のそれぞれの輪がオーバーラップした形であらわされると思います。(白板の図、省略)
お手元の資料は読んでもらえばすぐわかるように書いてあります。(爆笑) 運動の効果、ウォーミングアップについて書いてあります。最初から説明するつもりはなかったので、生活の中でいかしてほしい。ただ、一番最後の資料はなかなかてに入らないので参考にしてほしい。VO2
MAXというのは、最大酸素摂取量で、運動の限界ですがそれに対して何パーセントの運動をしたらよいか参考のためにあげてあります。
もうひとつの資料の、新聞コピーは「7人のうち6人に異常あり」という、北海道新聞9月3日付けの記事です。サンプルが多いので、データは精度が高いとおもいます。ただ、私がここで言いたいのは、健康診断の数字に一喜一憂する必要はなく、アバウトにとらまえてほしいということです。つまり、基準値は血糖値など時代とともに変わってきています。肥満についても、理想体重の算出式がありますが、それに合致しないスポーツ選手などもいるわけで、自分の基準値ではないのです。むしろ、大事なのは自分の内なる心の問題を大事にしていかないといけない、心の中に健康感をもつということが非常に大事です。私も問題は過去に指摘されたけれど、検査が非常につらいし結果がわかるまでの不安感に耐えられず15年間人間ドックを受けていない。幸い、かかりつけの先生に定期的に見てもらっていますので、安心しすごすことができています。いいホームドクターを見つけ出すことが大事なことと思います。それと、ストレスを解消する方法を身につけてゆくこと、が健康をまもるコツです。体と心は一体のもの、自分の気持ちを大事にしたいものです。
もうひとつデータ、資料にありますが、最近では新聞紙上で三万人の人が自殺し、中でもかなりの割合が中高年である。その理由の中に、男の更年期が多いのですが、うつ病とノイローゼと同じ症状で出てくるといわれています。ある精神科医によると、疲れたとか気分が晴れ晴れしないとか蒸発したいだとか、そういう症状があったら要注意、だそうです。これは、完全な精神病ではなくて軽いうつ病やノイローゼと診断されていまして、発症も軽い出社拒否症、帰宅拒否症、テクノストレス症候群、最近では、さび付き症候群、微笑みうつ病などもあります。
自分の不安が説明できるうちはよいが、ただ不安で夜も眠れなくなる、原因がわからない人が増えている。押しなべてこういう人の性格は孤独を好むタイプ非社交的でない、ことが多いそうです。科学技術が進歩する中で、昇進うつ病もあるそうで、環境の変化にたいしてうまく適応してゆくことが大事です。
そこで、三つの言葉を皆さんに贈ります。
くじけるな さげすむな あきらめるな 困難に遭遇したときに常にプラス思考で前向きに生きてほしい。人間、出世だとか自分の力でどうしようもない外的な問題があるが、内的な問題は自分の努力で無限の可能性があります。自分の無限の可能性を持っていることを意識して、一瞬、一日、一週、一年とつながる、今の今を本当に鋭く激しく生きていただきたい。情熱の大切さについてサミュエル・ウルマンが歌っていますのでその詩を紹介して私の話を締めくくりたいと思います。
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「青春」 サミュエル・ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、 心の持ち方を言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、 たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは臆病さ退ける勇気、 安易を振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 歳を重ねるだけでは人は老いない。 理想を失うとき初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心がしぼむ。 苦悩、恐怖、失望により、気力は地に這い、精神は芥となる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 驚異に魅かれる心、おさなごのような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にもわれにも見えざる駅逓が心にある。 人から神から、 美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高くあげ希望の波をとらえる限り 80歳であろうと人は青春にして已む。
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卒業生諸君の活躍を祈念しています。(以上)
ヒアリング(3E 源津
憲昭)
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